亀田三兄弟の次男で、元ボクシング世界2階級王者の亀田大毅(33)が、27日配信のデジタルシングル「みんなへ」で歌手デビューすることがわかった。自ら作詞・作曲した同曲は、〝因縁〟の内藤大助戦(2007年)後、失意のどん底にいた大毅が自責の念を込めて書き上げた幻の楽曲だ。15年あまりの月日を経て、いま世に出そうと決めた理由を直撃した。
大毅は兄・興毅と弟・和毅とともに世界王者となり〝亀田ブーム〟を巻き起こしたが、26歳という若さで現役引退。昨年10月からは興毅が会長を務めるプロボクシングジム「K WORLD3 ジム」の副会長兼トレーナーとして、後進の指導にもあたっている。
そんな大毅は〝歌うまボクサー〟で知られ、現役時代は勝利後にリング上で「T―BOLAN」の曲などを熱唱してきた。実は2010年2月、初めて世界王者になった試合後にピアノで弾き語りしたのが、配信デビュー曲にもなった自作曲「みんなへ」だった。
歌詞は「同じ過ちを二度と繰り返さないで」から始まる。07年10月に行われた、内藤大助との世界戦では反則を繰り返して敗れ、1年間のボクサーライセンス停止処分に。世間から猛バッシングを浴びた。「その時の心情を詩にして。10~15分で書き上げたんじゃないかな。正直、あの試合でいろんな人に迷惑をかけたんです。もちろん家族に一番迷惑かけたけど、当時のことをよく知ってくれてる人に届けたい歌ですね」
常々、父・史郎氏は「早く出したらええ」「お前、いつ出すねん」とシングル化を熱望。今年に入ってから関係者を含めて改めて曲の良さを再確認し、トントン拍子にデビューが決まった。
歌詞には「俺は独りじゃない」「俺はもう一度立ち上がる」とある。
「立ち上がったから21歳の時に世界チャンピオンになって、特設ステージでこの曲をピアノで弾き語りできた。立ち上がってなかったら曲は完成してなかったし、封印していたかもしれない」
現役引退後、昨年4月にユーチューブチャンネルをスタートさせるまで7年間は〝ほぼ無職状態〟。妻子がいながら当時の愛称「浪速乃弁慶」ならぬ「浪速のプー太郎」となったが、ユーチューブ番組で初めて社会人の大変さを痛感。そして兄・興毅からのオファーを受け、ジムの副会長兼トレーナーに就任。まさに現役時代さながらに立ち上がり、多忙ながら充実した日々を過ごす。
「環境はほんとに変わりましたよね。副会長として、まずやってることは営業。選手のファイトマネーもあるので、なるべくいい環境でやらしてあげたい。そのためには少なからず、応援してもらって協賛をいただかないといけない。トレーナーとしては、ジムに毎日いられるわけじゃない。細かいところは毎日いるトレーナーとしっかりやってもらって、僕が言えるのは気持ちの面ぐらい」
絶望の現役時に作った「みんなへ」が、引退の喪失感から立ち直った現在の境遇にも重なっているといい「この曲が今、世に出るのも何か運命を感じる。亀田大毅のすべてではないけど、この歌が誰かに届いて何かにつながれば」と話した。
解体現場などで撮影したミュージックビデオは、27日午後6時からユーチューブに公開される。実は歌詞は付けていないが、現役時代に自作した50曲ほどの曲がまだ眠っているという。
「『浪速のプータロー』って歌を作ってもいいかも。プータローから副会長になって。人間、頑張ればできるというのを歌ったり。『会長』って歌作ろうかな。お兄がいるけど、会長になるために(笑い)」。いたずらな笑みが、ボクシング界にかける熱い情熱を物語っていた。
☆かめだ・だいき 1989年1月6日、大阪市西成区出身。04年、史上最年少15歳3か月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。06年にプロデビュー。10年にWBA世界フライ級王座を戴冠し、日本人初の兄弟王者に。13年にIBF世界スーパーフライ級王座決定戦で勝利し、世界2階級王者となる。15年に現役を引退した。












