角界はまた一人、貴重な人材を失った。大相撲の元大関貴ノ浪で幕内優勝2回の音羽山親方(本名・浪岡貞博)が20日、急性心不全のため死去した。43歳の若さだった。21日には名古屋市内の斎場で通夜がしめやかに営まれ、貴乃花親方(42=元横綱)をはじめ関係者約300人が参列。早すぎる死を悼んだ。豪快な取り口でファンを沸かせ、卓越した観察眼と冷静な分析力の持ち主。将来誕生するであろう“貴乃花理事長”の右腕として大きな期待をかけられていただけに、貴乃花親方にとっても大きな損失となった。

 気さくな人柄と温厚な性格で親しまれたことを物語るように、通夜には相撲界からだけでなく、スポーツ界や芸能界からも多くの弔問客が訪れた。あまりにも急な別れに、同じ貴乃花一門の阿武松親方(53=元関脇益荒雄)は「彼の遺志を継いで、強い力士を一生懸命に育てるだけ」と目を真っ赤にして追悼。祭壇にはデジタルフォトフレームで3種類の遺影が映し出され、ひつぎには生前に愛用していた眼鏡が入れられた。

 現役時代に何度も対戦した玉ノ井親方(38=元大関栃東)は「すごく特徴がある力士だった。前から体調が悪いことは知っていたが…。急すぎてビックリしている。何も言えない」。同じ青森県出身の十両若の里(38=田子ノ浦)は「突然のことで信じられない。ずっと稽古をつけてもらっていた。青森巡業で三番稽古をヘトヘトになるまでやった。平成9年(1997年)の九州場所で大関(貴ノ浪)が幕内優勝して自分が十両優勝。地元の青森の人が大喜びした。いろいろ面倒を見てもらって、感謝しています」と故人をしのんだ。

 一方で、貴乃花親方は事前に関係者を通じてこの日は報道陣にコメントしないことを通達。沈痛な面持ちで斎場を後にしたが、音羽山親方が死去したことによるダメージの大きさは、相撲界の中でも特に貴乃花一門にとって計り知れないものと言っていい。

 貴乃花親方は強烈なカリスマ性を持つ一方で、どこか孤高なオーラを身にまとっている。音羽山親方は明るく親しみやすい性格で周囲の人望も厚い。頭の回転も速く、まさに参謀役としてうってつけの存在だった。いわば2人は、表裏一体の関係だった。

 いずれは貴乃花親方が日本相撲協会の理事長になることに異論をはさむ余地はない。そうなれば、自らの意思を協会全体に浸透させる「右腕」として音羽山親方を役員などで重用したはずだ。

 現役時代は横綱にこそなれなかったものの、曙(46)や武蔵丸(44=現武蔵川親方)ら列強がひしめく「若貴時代」の中で幕内優勝2回は立派な成績。

 親交があった元サッカー日本代表FWの釜本邦茂氏(71=日本サッカー協会顧問)が「早すぎるよね。これから貴乃花親方の手足として相撲界を引っ張っていってもらわないといけないのに…」と悔やんだように、将来は“貴乃花理事長”の参謀、さらにはスポークスマンとしての役割も担っていたはずだ。

 角界全体にとっても、来るべき角界の新時代のキーマンを失った格好。貴乃花親方の最大の理解者を失った損失は、あまりにも大きい。