【前田日明(16)】1986年4月にアンドレ(ザ・ジャイアント)との一騎打ちでノーコンテストになって以降、新日本の選手も外国人選手も妙に腰が引けて、なんだか完全燃焼できない試合が続いていた。

 ユニバーサル(レスリング連盟=UWF)のような人脈も資金もない団体が、図らずも新しいことをやろうと思って、なんとなく形になったものができた。それを「新日本の選手とやったらもっとすごいものになるんじゃないか」と思っていたんだけど、誰もやらないし、誰もできなかったんだよね。

 そんななかで、86年6月12日(大阪城ホール大会)に藤波(辰爾)さんとの試合を迎えた。この対戦は藤波さんが大流血したシーンが有名だけど、あの時はコーナーにバーンと行って、ただの飛びヒザじゃつまんないなと思って俺が前転して足を開いて蹴り下ろしたんだ。鎖骨のあたりを狙ったんだけど、藤波さんが逆方向に避けてしまって顔面に当たってしまった。俺も最初は鎖骨を狙ったのに、何で流血してるんだろうと思ったんだよね。

 俺はいつもと同じことをやっただけだけど、やっぱり藤波さんがすごかった。世界中全部含めて、あの時の試合と同じように俺の蹴りを全部受けられた選手、誰もいない。藤波さんしかできなかったよ、あれは。藤波さんが自分勝手な俺にやれるだけやらしてくれてさ。でもあれを見て他の選手は余計ビビったんじゃないかな。「前田とはやりたくないな」って。

 試合は俺のニールキックと藤波さんのジャンピングキックの相打ちになって両者KOという決着になった。試合後に俺は「無人島だと思ったら仲間がいた」って言ったんだけど、その言葉通りですよ。藤波さんがたたえられるべき試合ですよ。

 この試合は、その年のベストバウト(※1)にも選ばれた。藤波さんは長州(力)さんとの試合が「名勝負数え唄」と呼ばれたじゃない。だから俺との試合もそうやって続いていくのかと思ったけど、あの1試合で終わった。でも確かにもう一度、同じ試合はできない。マッチメークする側も、あんまりやると藤波さんが壊れちゃうと思って、やらせられないんだろうね。

 藤波さんはいまも現役を続けていて、体もそんなに落ちてない。藤波さんならではだな、と思うよ。あの人は(アントニオ)猪木さんと並ぶプロレスの天才。両巨頭と同じレベルはもう二度と出てこないだろう。キング・オブ・スポーツをやった人たちですよ。練習量もあるし、プロレスに対する取り組み方もあるし、他の選手とは全然違ったよね。

※1東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」年間最高試合賞

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。