「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」は2007年公開の映画だが、松山ケンイチさん主演で、高畑充希さんのデビュー作だ。「沖縄美ら海水族館」の全面協力で製作した作品で、松山さんは実在の獣医師役、充希さんはイルカと心を通わすことのできる、不思議な少女の役だった。

 岩貞るみこさんの「もういちど宙へ」というノンフィクションが原案で、病気で尾びれを失くし、泳ぐことができなくなったイルカ・フジの人工尾びれを開発するというプロジェクトの物語だ。

 主人公のモデルである美ら海水族館の獣医師・植田啓一さんと、F1のレース用タイヤや自転車の開発で高度な技術を蓄積していたブリヂストンの技術者たちがタッグを組み、試行錯誤の末、イルカの強力な泳ぎに耐えられる人工尾びれを作り上げた実話を基にした映画だった。撮影では水族館のスタッフとブリヂストンの技術者の皆さんに、技術指導だけでなく、実際に出演してもらった。

 主人公のイルカ役は当時まだ生きていた実際のフジが務めた。人馴れしているだけでなく、どこか茶目っ気さえあるように見えるチャーミングなイルカだった。生き物を相手にシナリオ通りに撮影ができるものかどうか、私にはそれほど不安はなかった。様々なドキュメンタリー映画を製作してきた経験と、美ら海水族館の内田詮三館長(当時)との出会いが支えになった。

 動物愛護団体などから、水族館でイルカやクジラ類を飼育することは動物虐待ではないかという批判を受けながら、内田館長は毅然として水族館の教育的、啓蒙的な存在理由を掲げ、生き物たちの飼育・研究に最善を尽くしてきた人だった。その姿に深く共感するものがあったし、人間的にも魅力的だったからだ。

 この内田館長役は山﨑努さんにお願いした。内田館長像を見事に創り上げ、作品全体を引き締まったものにしてもらった。映画の完成には山﨑さんの存在が大きかったと思う。この作品が縁で、山﨑さんは美ら海水族館の名誉館長をしばらく務めることになった。

 またこの作品は監督・前田哲さんとの初めての仕事だったが、今振り返っても撮影を楽しむことのできた稀有な現場だった。前田監督は本作を経て「ブタがいた教室」(08年)でヒット作を監督し、18年には「こんな夜更けにバナナかよ」で、第一線の女優に成長した高畑充希さんと再会を果たした。前田監督は今や売れっ子の映画監督だ。

 ☆やまがみ・てつじろう 1954年、熊本県生まれ。86年「シグロ」を設立、代表就任。以来80本以上の劇映画、ドキュメンタリー映画を製作・配給。「絵の中のぼくの村」(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をはじめ、国内外の映画賞を多数受賞。主な作品に石原さとみ映画デビュー作「わたしのグランパ」(2003年)、「老人と海」「ハッシュ!」「松ヶ根乱射事件」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「沖縄 うりずんの雨」「だれかの木琴」「明日をへぐる」など。現在「親密な他人」の公開を控えている。