新宿ゴールデン街消滅の危機!実は2回あった!

 1度目は前回書いた1986~90年のバブル時期の地上げ騒動。あの賑わいをみせていた街が閑古鳥鳴くゴーストタウンのようになってしまった。不審火騒ぎやマスコミの面白おかしく煽る記事に乗せられて、街の様子が一変してしまったのだ。

 店子達有志が「新宿花園・ゴールデン街を守ろう会」を作り、Tシャツ販売や年末には“まだゴールデン街は元気にやっていますよ!”とのアピールも兼ねて「餠つき大会」を催して、餠や酒を振る舞い、話題づくりに努めもした。

 危機感を抱きつつも、そんな時だからこそのイベントで、むしろ団結力強くして危機を乗り越えようとする逞しさが、皆んなの笑顔に見て取れた。

 今思えばそんな騒動が「雨降って地固まる」の例えではないが、この街の今を形づくったのかもしれない。

 そんな地上げ騒動もバブル崩壊と共に収まった。が、その爪痕は無惨にも増えた空き店舗の並んだ街並みに暗い影を落としていた。地上げ不動産屋の倒産や転売なども繰り返されたが、92年に施行された新借家法や大規模なインフラ整備などにより、若い人たちが新規店舗を求め出し、大家(不動産屋)側もそれに応えて貸出しを承諾。地主組合や不動産会社「誠美興業」、オーナーらの団結も加わり、新宿ゴールデン街が再び生まれ変わり、かつての賑わいを取り戻した。

 再びの危機は2006年。2年後の地下鉄副都心線開通をにらみ、ゴールデン街の一部から靖国通りにかけての一帯の再開発問題が勃発。「歌舞伎町一丁目東地区まちづくり協議会」が設立されたのだ。そう、このゴールデン街は歌舞伎町1丁目1番地なのだ。

 地主組合、建設会社、靖国通り側オーナー達の立ち上げた再開発プロジェクト。そこに新宿区もオブザーバーとして参加しているらしい…との話を聞きつけ、新宿区都市計画部に直談判に行く。区長にも直訴の手紙を届けた。幾多の困難を乗り越え、再生した街を壊されたくない、との一途な思いで。ま、そんな思いが通じたのか、その話は断ち消えとなってしまったが、一時は店子越しの再開発にひやひやしたものだ。この街で生き抜いている人々の“ゴールデン街愛”が止めさせたに違いないと今でも信じている。

 ◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組秋公演「戦争童話集」(東京・新宿「雑遊」)を10月28日~11月7日に上演。