【昭和ロックを語る時が来た】キャシー中島が語る「ぎんざNOW!」秘話

2020年05月23日 10時00分

1972年のキャシー中島

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た:キャシー中島編(7)】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(58)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。ゲストのキャシー中島(68)がアシスタントを務めた昭和のヒット番組「ぎんざNOW!」で、放送開始前に行われた“特訓”とは? さらに1970年代に九州出身のミュージシャンが活躍した理由を考察。(隔週連載)

 ユカイ:「ぎんざNOW!」の前、せんだみつおさんやキャシーさんはテレビの生放送の司会なんてやったことなかったですよね。TBSはどういう対策を?

 キャシー:放送が始まる1か月前から、テレビで放送しない番組を作り続けたのよ。

 ユカイ:え? どういうことですか?

 キャシー:あの番組は「銀座テレサ」というサテライトスタジオから放送していたでしょ。私たちはスタート1か月前からそこに通って、毎日、番組出演していました。

 ――放送開始前ですよね?

 キャシー:そうです。テレビで放送するためじゃなく、それをTBSの社屋だけで流していたの。スタッフがそれを見て、毎日ダメ出し(笑い)。

 ユカイ:1か月間、本番のような体制で練習してたんですか?

 キャシー:そう。昔のテレビ局って、局員さんたちがタレントを鍛え、育ててから番組で使うということをしてくれたのね。今は事前にそこまではしないでしょ。ただ、私はダメ出しされ過ぎて「向いてないかも…」って心が折れそうになってました(笑い)。

 ユカイ:番組は1972年10月から無事にスタートしましたが、キャシーさん、辞めるの早かったですよね?

 キャシー:1クールやったところで、前からやりたかったシャンプーのCMの話をもらったのね。1年間世界を回りながら撮影するっていうCM。私はそれがやりたかったから、プロデューサーに「すいません。モデルの仕事をしたいので降板させてください」って言って、ロケに行っちゃったんです。プロデューサー、びっくりしてました。

 ユカイ:3か月しかやってなかったんですか!? 当時のゲストで覚えている人はいますか?

 キャシー:海援隊やキャロル、吉幾三さんですね。海援隊はまだデビューしたばかりだったかな。何を歌ったとか全く覚えてないんだけど、ケンカを売るような目つきで周りをにらみつけてて、「この人たち、何しに来たんだろう?」とビックリしたことだけは覚えてます(笑い)。

 ユカイ:海援隊は72年10月デビューだから、本当にデビュー直後ですね。「母に捧げるバラード」(73年12月)がヒットする前。なんでそんな態度だったんですかね。

 キャシー:同じ九州出身の夫の勝野(洋)が言ってたけど、70年代の初め、九州の人にとって東京に行くのは、外国に行くようなものだったって。全く知らない土地で、いきなり若い人がいっぱいいる生放送の番組に出るなんて、緊張して心臓がどうかなりそうだったのかも。

 ユカイ:確かに、当時はまだ山陽新幹線は博多まで行ってないし(開通は75年)、飛行機なんて今のように気楽に乗れる時代じゃなかった。九州から東京って、外国に行くぐらい時間かかりましたね。鮎川誠さんが「東京に行ってデビューという図式が大嫌いやった」と言っていたように、精神的な距離も今より離れていた。

 ――一方で70年代は、井上陽水さんをはじめ九州出身のミュージシャンで成功した人がすごく多かったです

 ユカイ:それ不思議だったんだけど、距離を乗り越えるという“覚悟”と“気概”が背中を押していたのかもしれない。矢沢永吉さんも地方出身者の強みを説いていたけれど、70年代の、あの時代の距離感がハングリー精神をつくり出し、数々のミュージシャンを成功に導いたのかもしれないね。

☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。最新ソロアルバム「The Best Respect Respect In Peace…」が発売中。

☆きゃしー・なかじま=1952年2月6日生まれ。米・ハワイ出身。3歳のころから日本に拠点を移し、69年にCMモデルとしてデビュー。歌手、テレビタレントとして活躍する。72年からパッチワークを始める。79年に俳優の勝野洋と結婚。静岡県御殿場市に移住し、87年に同市にパッチワークの教室をオープン。現在はタレントとして活動する一方、全国に6店舗のキルトスタジオを開き、後進の指導に励んでいる。