日本を代表する女優・岸惠子さんが7日に老衰のため死去したことが19日、明らかになった。93歳だった。所属事務所が発表した。岸さんは多くの作品で輝きを放ったほか、ストールの「真知子巻き」は社会現象まで起こすなどさまざまな足跡を残した。後に国際問題を扱うジャーナリストとしても活動し、危険な目に遭ったことも…。その数々のエピソードをお届けする――。

 公式サイトは「俳優 岸惠子が老衰のため令和八年八月七日永眠いたしました。ここに生前のご厚誼を深謝し謹んで申し上げます」と伝えた。葬儀は故人の遺志により近親者のみで済ませたという。

 岸さんは1932年8月11日生まれ。神奈川・横浜市出身。51年に「我が家は楽し」で映画デビュー。日本映画の黄金時代にスターダムを駆け上がり、トップ女優となった。

 岸さんをよく知る芸能関係者が明かす。

「女優を志したきっかけは、高校生のころに見たフランス映画『美女と野獣』だったそうです。もう夢中になって何度も見たらしい。詩人ジャン・コクトーが演出したものでしたが、後に岸さんがフランスに渡って、コクトーの戯曲『影絵―濡れ衣の妻』に出演することに。これはコクトーたっての希望だったようで、人の縁のありがたさに感謝していました」

「細雪」「雪国」「おとうと」など人気作は多いが、特に代名詞となった一作が「君の名は」(53年)だろう。ヒロインの真知子役を演じて大ヒット。そのストールのかぶり方が当時「真知子巻き」として大流行した。

 映画関係者の話。

「当初、真知子役は自分のイメージと合わないため、ピンと来ていなかったらしい。真知子巻きも撮影現場が寒くて雪が降っていたから、たまたま巻いたものだったそうです。ところが映画はヒットした上に真知子巻きまで流行したので本人が一番驚いていましたね」

 56年、日仏合作映画「忘れえぬ慕情」に出演したことがきっかけでイブ・シャンピ監督と結婚(後に離婚)。パリに居を構えて国内外で活動するようになったが、同時に世界の現実も目の当たりにすることになる。68年にはパリの五月革命やプラハの春で、自由を求めて立ち上がった若者たちを目撃。さらにイスラエルやパレスチナ問題などにも関心を寄せ、そこからジャーナリストやドキュメンタリーのリポーターとしても活動するようになった。

 もちろん、危険な目に遭ったことも少なくない。

「イランに行った時に『怪しい異教徒が写真撮っている』と通報されて革命防衛隊に手錠をかけられそうになった話は岸さんの“鉄板のエピソード”。イスラエルのガザ地区周辺で投石されたこともあるそうです」(同)

 2017年に都内で行われたイベント取材では、第2次大戦時のソ連の“伝説的スパイ”リヒャルト・ゾルゲを扱った日仏合作映画「スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜」(61年)出演時の逸話を明かしたこともある。

「私の元夫が撮影したんですが、モスクワ国際映画祭に出品しようとしたところ、ソ連の陸軍大臣から『ソビエトにスパイはいなかった。ゾルゲなんか知らない』と却下されたんです。ところが、当時の最高指導者フルシチョフが許可。公開されると観客は熱狂して迎え、ソ連初の闇切符まで出回りました(笑い)」(岸さん)

 同作がきっかけで、ソ連国内のゾルゲ評価は一変。記念切手やゾルゲ通りまでできるなど、同国の英雄になったのだ。岸さんはある意味、ロシアの歴史を変えたと言っても過言ではない。

 当時、岸さんはこう話していた。

「人は人生を歩くとき、ふと違った風景に出会うもの。そこで見過ごすのか、パッとつかむのか。私はよくつかんできたので、いろいろな風景に出会ってきました。こんな人生もあるんだと」

 まさに不世出の大女優だった。