音が、人生を変えた――。かつて人前に出るのが苦手だった大分県出身のサウンドDJ「DJ OTO(オト)」さんは今、福岡ソフトバンクホークスの本拠地・みずほペイペイドームで球場演出を担っている。憧れのDJを見た帰り道に機材を購入し、独学から福岡のクラブシーンへ。音楽への思いを行動に変え、今では大舞台の熱狂を支えている。
OTOさんは大分で生まれ育った。子供の頃は「恥ずかしがり屋で引っ込み思案」。活発な妹の陰に隠れるような性格だった一方、習い事は週5日ほど。和太鼓やダンスに取り組み、エレクトーンは3歳から高校生まで14年間続けた。「音感やコード、小節の拍などの感覚が身についた。やっていて良かった」と振り返る。
家庭にはいつも音楽があり、DJ KAORIやレディー・ガガ、マドンナなどのクラブミュージックに親しんだ。小学生の頃からDJを意識し、「同じテンポのまま言葉でつなぐ、自然で心地良いスタイル」に夢中になった。ただ、当時はデザイナーに憧れ、高校生になると「レントゲン技師になりたい」と専門学校へ進んだ。
人生が動いたのは、福岡へ出た後の23歳頃だった。ユーチューブで見続けていた韓国のDJ SURAが福岡に来ると知り、クラブへ足を運んだ。「その帰り道にDJ機材を購入しました」。すぐにユーチューブを頼りに独学で練習を始めた。
TikTokには顔を出さず、手元だけを映したオリジナルミックスを投稿。福岡のDJから反応が届くと、インスタグラムで見つけたDJスクールへ自ら連絡した。「独学で学んだことが合っているか確かめたかった」と3か月間指導を受け、夜中に電話があれば現場へ向かって先輩の横で学んだ。
その後、「夢叶えるプロジェクト」のイベントで初めて顔を出し、「DJを頑張りたい」と宣言。当時、中洲にあったクラブ「Canan」でデビューし、「REVO」の正式メンバーにも加わった。2024年には、みずほペイペイドームで行われた「FUKUOKA MUSIC CIRCUS」に出演した。
Big RoomやEDM、HOUSE MUSICを得意とし、現在は「オールジャンル」でプレーする。イベントや客層に応じて準備し、本番では観客の反応に合わせて選曲を変える。「盛り上がっているテンポを維持したり、少し落ち着かせたりします」。ペンライトの動きを止めず、不快なつなぎにならないことも意識する。
翌25年からは、みずほペイペイドームで行われる福岡ソフトバンク戦の場内演出をサウンドDJとして担うようになった。DJ G―LAIYA(ジライヤ)から話を受けた時は「話が大き過ぎて、最初は実感が湧かなかった」。手元のモニターとドーム球場全体では聞こえ方が違い、反響した音も遅れて戻るため、モニタースピーカーを切って調整することもある。
ドーム球場ではTikTokで流行するダンス曲を取り入れ、ホークスアジアンデーにはテーマに沿った楽曲を用意する。福岡ソフトバンクの選手では、周東佑京の登場曲が「とてもカッコ良くて印象に残っている」と選曲のセンスに注目。同郷の今宮健太、川瀬晃を応援し、推しには大関友久を挙げる。野球一家の家族や親戚もDJ演出を見守ってくれた。
DJ名の「OTO」は、TikTokで音楽の「音」から「オト」と名乗ったことが由来。ファンから「オトちゃん」と呼ばれ、そのまま活動名になった。休日は海外のDJフェスを流しながら曲を探し、アニメ「ONE PIECE」を見たり、福岡空港の展望デッキから夜景を眺めたりして息抜きする。
今後はリミックスやマッシュアップなどの楽曲制作に力を注ぎ、マイクパフォーマンスやスクラッチも磨く。「福岡を拠点に全国や海外でも活躍できるようになりたい」。目指すのは「オールマイティーなDJ」だ。














