この連載は、今回で終了となる。これまでの40年間に製作してきた映画は80作品を超えるが、ここで取り上げることのできた作品は35本で終わることになった。

 映画製作には大きな資金が必要だし、スタッフやキャストも大人数が動くことになるので、いつまで続けていけるのか、いつも先が見えているわけではない。それでも数本の企画が常に頭の中を占めているので、まだしばらくは映画を作り続けることができそうだと思っている。

 映画の製作と同時に、15年ほど前から映画のバリアフリー化に取り組んできた。目が見えない、また見えにくい人たちのために音声ガイドを付け、耳が聞こえない、聞こえにくい人たちに向けて日本語字幕を付けるという活動だ。

 私をはじめ映画製作者は、これまで長い間映画の観客から視聴覚障害者を排除してきたことになる。映画の観客の中に障害者がいること自体を、無みしてきたのだ。

 映画作品のバリアフリー化だけではない。映画館もしかりで、車いすの観客は、今も席が限られ、自由に席を選ぶことができないばかりか、夫婦や恋人など同伴者と隣り同士の席で、一緒に映画を鑑賞することができない作りになっている。

 映画を楽しみたいという思いに障害は関係ないし、芸術文化の領域に差別は全くそぐわない。

 日本で公開される映画は、日本映画外国映画を合わせて年間1200本前後。うち半分を占める外国映画はまだほとんどバリアフリー化されていない。日本語の翻訳字幕は付いているが、誰が喋っているかの話者表記がなく、セリフ以外の情報もないので聴覚障害者には分かりにくい。まして、映画の中に日本語が出てくると途端に字幕自体もなくなってしまう。音声ガイドに至っては、ほとんど付いていないので、視覚障害者は鑑賞することができないのだ。

 日本映画は最近バリアフリー化が少しずつ進んでいるが、それでもまだ公開本数の1割程度に留まっているのが現状だ。目や耳に障害のある子ども達が、教室で人気のアニメなど映画の話題に入れないのは悲しいし、誰も年齢を重ねればいつかバリアフリー版の恩恵を受けることになる。

 また、映画のバリアフリー化は、新しい映画表現を拡げるきっかけになると思っている。字幕や音声ガイドによって、映画がより立体的になる可能性さえあるからだ。
 映画の歴史はまだ浅い。これから映画がどう進化していくのか、楽しみは尽きない。映画製作に関わることができている僥倖を感じている。

 ☆やまがみ・てつじろう 1954年、熊本県生まれ。86年「シグロ」を設立、代表就任。以来80本以上の劇映画、ドキュメンタリー映画を製作・配給。「絵の中のぼくの村」(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をはじめ、国内外の映画賞を多数受賞。主な作品に石原さとみ映画デビュー作「わたしのグランパ」(2003年)、「老人と海」「ハッシュ!」「松ヶ根乱射事件」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「沖縄 うりずんの雨」「だれかの木琴」「明日をへぐる」など。最新作「親密な他人」が公開中。