今年3月末をもって芸能リポーターを卒業することを発表した井上公造氏(65)が次のステージを見据えている。東京から福岡まで、レギュラー出演するテレビ番組9本を降板する。多忙を極めた36年のリポーター生活を振り返り、スターとの秘話、意外な恩人など、本紙だけに明かした。

 昨年12月、井上氏は自身のユーチューブチャンネルで突如、今春での卒業を発表。約7年前から自律神経のバランスを崩し、生放送中にめまい、ろれつが回らなくなるなどの体調不良に陥っていたことを明かした。

「実は40代後半から、60歳前後で芸能リポーターは区切りをつけようと思っていました。ワイドショーの良き時代に業界に入れていただき、充実していたんですが、次のステージにチャレンジしたいという思いは年々強くなりました」

 数々の転職後、サンケイスポーツ記者時代に師匠・梨元勝氏(2010年没、享年65)と出会った。“突撃芸能リポーター”で知られた梨元氏と飲みながら、会社のグチをこぼすと「それならウチに来ない? 給料、倍払うから」と誘われ、29歳で芸能リポーターに転身。「出会わなければ、今日の僕はなかった」という梨元氏の存在が卒業を決めた理由の一つとも言う。

「梨元さんは今の僕の年で亡くなりました。師匠の年に追いついたのも大きかった。残りの人生、健康寿命はあと5年、10年くらいかもしれない。自分の好きなことをしたいと思いました」

 井上氏が芸能リポーターとして活躍する中、芸能人の取材そのものも大きく変化した。05年で高額納税者公示制度(いわゆる長者番付)が廃止され、個人情報保護法の観点から直撃取材スタイルも改められた。

「1000万円以上納税した芸能人の住所が税務署で公開されていた時代でした。それが、取材で自宅まで押しかけるのはどうかという空気になり、タレント自身がブログで情報発信するようになって、今はSNS。結婚と離婚の会見もほぼなくなった。これは僕らがやってきた取材スタイルを考え直さないといけないと思いましたね」

 著名人との交友関係も築いてきた。筆頭は11年に芸能界を引退した島田紳助氏(65)だ。

「今もお付き合いさせてもらっています。卒業のことは真っ先に伝え、お会いしたら『やっと一緒に遊べるね』と言ってくれました。紳助さんの引退にはいろんな解釈があると思いますが『クイズ!ヘキサゴン』などで共演し、親しくさせてもらいました。“話術の天才”だし、笑いの哲学は今もすごい。『M―1グランプリ』をつくった功績も大きいですよね」

 レギュラー出演する「情報ライブ ミヤネ屋」(日本テレビ系)の宮根誠司(58)とは「宮根さんが朝日放送の局アナ時代から共演しましたが、当初、僕は宮根さんが司会していた『おはよう朝日です』という番組しかレギュラーがなくて、公私ともに一緒にいる時間が多かった。身をもってフリートークを教えてくれました」と感謝する。

 勝新太郎さん(享年65)については「六本木、銀座で朝までお付き合いしたこともありました。最初、2人で飲み始めたんですが、そのうち握手を求めてきた知らない人も合流し、最後は数十人になっていた。途中、アタッシェケースでお金を届ける謎の人もいて、後で聞いたらその一晩で1000万円使っていたそうです」。

 内田裕也さん(享年79)とは「東京でもハワイでも飲みましたが、破天荒だけど優しい人。『俺は芸能リポーターにお酌するのは初めてだ』とか『兄弟分の盃を受けてくれ』と言われたこともありましたね」とも。

 何度も取材した松田聖子(60)については「この人がいなかったら、芸能リポーターを続けられたかなというくらい、一方的に感謝しています。今の時代だったら即仕事がなくなっていただろう数々のスキャンダルを芸の肥やしにしてきた天才」と表現。特に00年、2番目の夫との離婚会見が印象深いという。

「各テレビ局が生中継態勢で待ち受ける中、聖子さんは会見会場に入ると『わ~すごい!』と漏らしたんです。離婚会見といえば、神妙に臨むのが普通なのに、その表情は“私の離婚会見にこんなに報道陣が集まっている”といううれしさにしか思えなかった。モノが違う。“This is芸能人”ですよね」
 時には批判を浴びたリポーター人生、信念を井上氏らしくこう総括した。

「芸能リポーターは芸能人の“寄生虫”みたいなもの。芸能人がいないと成立しない職業。でも寄生虫でも五分の魂はある。スキャンダルを追及してタレントさんをつぶすより、1人でも多くのスターがいた方が食べていける。その時代に応じて、僕なりにやれることはやってきたので後悔はないです」

 4月からはセミリタイアし、培った人脈を通して、芸能界と地方をつなげるコンサルティング業や、計90回以上訪れ、大好きなハワイを元気づける仕事などをするという。一時代を築いた井上氏の人生後半戦が楽しみだ。 

 いのうえ・こうぞう 1956年12月30日生まれ。福岡県福岡市生まれ。西南学院大卒業後、食料品販売「明治屋」などを経てフリーライターに。竹書房「実話ドキュメント」編集長、産経新聞社「サンケイスポーツ」を経て、86年に梨元勝氏の「オフィス梨元」に入り、芸能リポーターに転身。「モーニングショー」(テレビ朝日)を皮切りに活躍。89年から本紙で梨元氏、須藤甚一郎氏と座談会「トリオ・ザ・地獄耳」を定期開催し、スクープを連発。98年「有限会社メディアボックス」(現「株式会社KOZOクリエイターズ」)設立。現在「情報ライブ ミヤネ屋」など東京、大阪、名古屋、福岡でレギュラー番組9本に出演。