【冬季五輪の主役たち(連載2)】1994年リレハンメル五輪は6競技61種目が実施され、日本からは選手65人が参戦。金1、銀2、銅2と計5つのメダルを獲得した。中でも注目されていたのは冬季大会史上初なる連覇がかかる「キング・オブ・スキー」と呼ばれたノルディックスキー複合団体の荻原健司だ。

 92年アルベールビル五輪で金メダルを獲得した荻原は、強気な発言で海外メディアからは「エイリアン」、日本では「新人類」と称されるなど異色のアスリートとして話題だった。また世界を席巻した「V字ジャンプ」を武器に好記録を連発。前半のジャンプで得点を稼ぎ、後半のクロスカントリーで逃げき切るという戦法でW杯通算19勝、93―94年シーズンから個人総合3連覇をマークするなど「キング」の名にふさわしい活躍を見せていた。

 迎えた94年リレハンメル五輪。複合団体の強豪で開催国のノルウェーチームが「金メダルは日本で間違いない」とさじを投げる中、日本勢はジャンプでK点越えを連発。エースの荻原も風に恵まれない中、89・5、96メートルを飛び、2位ノルウェーに5分7秒もの大差を付けた。その後のクロスカントリーでも危なげない滑りで快走し、1時間22分51秒08のタイムで冬季日本勢初の連覇を果たした。

 当時、荻原のジャンプがあまりにも際立っていたことから日本代表のスキー陣営の間では、荻原を複合ではなく、ジャンプの選手として出場させるプランも本気で浮上していた。不振が指摘されていたジャンプ代表の原田雅彦に代わってエントリーさせようと主張する関係者もいたほど、本職のジャンプ選手もかすむような圧巻のパフォーマンスで「荻原時代」を築いた。

 五輪連覇を果たした荻原は98年長野、2002年ソルトレークシティーにも出場。ともにメダルには届かず、02年大会後に現役引退を表明した。04年には参議院選挙(比例区)に出馬し初当選を果たした。09年にはスポーツ界への復帰を希望。北野建設のスキー部部長に就任したが、12年には現役に復帰。冬季国体の長野県代表として出場した。

 双子の弟でタレントの次晴も複合の選手で長野五輪に出場した。顔もそっくりなため、所属チームのホームページでは兄と弟の顔写真が間違って掲載されたこともあった。昨年10月に長野市長選に出馬し、当選。現在は政治の世界からスキー界を支えている。