今村豊が引退まで貫いた「若手育成」の姿勢

2021年01月05日 19時51分

誰にでも気さくだった今村豊氏
誰にでも気さくだった今村豊氏

【〝ミスターボートレース〟今村豊もう一つの功績(3)】後輩レーサーたちが今村に初めて接してまず驚くのは、そのあまりにも無防備な気さくさだ。

 孤高で、周囲に畏怖の念さえ抱かせ、近寄りがたいトップのイメージは、今村にはない。そんな姿など、かなぐり捨てて、整備やレースで悩む後輩たちに自ら積極的に声をかけるのだ。

「僕らが先輩になってくると、若手から声をかけづらいな、ってことはわかっていましたから。(僕らに)声をかけやすいよう、何でも聞いてくれるよう、こっちからどんどん話しかけていったのです」

 整備に正解が出れば、惜しみなく後輩たちに教えた。たとえ彼らが力をつけて、いつかは自分を不利に追い込むような状況を招こうとも、引退するまで終始一貫、その姿勢は変わらなかった。

「『隣の芝は青く見える』っていうでしょう。でも僕の庭の芝は、もう青々としていたわけです。だったらお前のとこも青々とせいよ、と。自分が稼げるのはわかってましたからね。さらに自分が有利に(エンジン整備に正解が出て)なって勝っても当たり前。それじゃあ面白くない。同等になってやっつける。それで初めて『やっつけた』と言えますからね」と笑った。相撲に例えればまさに横綱相撲。トップとしての揺るぎなき自信とプライドだろう。だから手段を選ばず勝ちに行くというレースを徹底的に嫌った。

「でもB級の選手が内から突っ込んで、艇を当ててまで勝とうとしても、僕は怒らない。そこまでしないと僕に勝てないわけですから。だけど記念レーサーがそれをやったら怒る。『お前は勝てる技量があるのに、そこまでせんと俺に勝てんのか』とね。僕は皆が皆、横綱相撲を取れとは言わないですよ。横綱になったら横綱相撲を取りなさいよ、と。(弱いのに)きれいごとだけで舟券に絡まない――これは全く意味がないですからね。だから力のない者が艇をぶつけてきても、それは納得はしていました」

 一つ間違えば命を危険にさらす水上の戦いなのだ。それでも今村は、力なき選手のラフプレーを問答無用と頭ごなしに怒鳴ることはしなかった。
 艇界トップのそうした判断と周囲への接し方は、経験の浅い若手の心に響いた。若手は恐縮し、反省しつつも萎縮することなく、レースに集中し、伸び伸びと走った。

 07年福岡グランプリで初めてのSG優勝を射止めた吉川元浩は、レース前、極度の緊張から青ざめていた。想像以上の1号艇のプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのだ。そんな時「いつも通りに回ってくればいいんだよ」とさりげなく今村から声をかけられ「大いに救われました」と述懐している。吉川のその後のSGでの活躍の端緒が、ここにあったと言っても過言ではあるまい。

 また17年平和島ダービーでは、予選をトップ通過しながら準優戦でフライングに散り、千載一遇のチャンスを逃した久田敏之に「お前がスタート行かんで誰が行くんだ。得点率トップで攻めないほうがおかしいだろ?」と一緒になって泣いて慰めてくれたという。

 久田はのちに「あの時の失敗があったから、今がある、と思えるようになった。たとえ大きな失敗をしても、それと向き合えるようになったことが、人間としてもレーサーとしても成長できているように思います」と今村に頭を垂れる。

「『あの時、今村さんに励まされ、こうでしたー』って、あとからよくいわれるんですよ。『そ、やったか?』て、ね。なんかいろいろ言っているみたいだけど、あんまり覚えていないんですよ」と苦笑する。

 しかし言われた当人は忘れない。しかも自分の競技人生、人によっては人生そのものの大事な節目に、艇界のトップから的確で優しい声をかけてもらっているのだ。

 あのお調子者・西山貴浩が「今村さんを見ればサルから人間へ、人類の進化がよくわかります」と軽口を叩いてもそれを全く問題にしない空気がある。これも今村氏の人柄だろう。

 タテ社会のあしき部分をそぎ落とし、風通しをよくした今村の功績は、今、スポーティーでしかも明るく輝く峰竜太のハツラツとした立ち居振る舞いを見ればわかる。

 メニエール病で破竹の記録ラッシュこそ鈍ったが、記録には残らない環境づくりと、希望あふれる若手レーサーを次々と育てていった手腕は、それらに劣らない。一人の天才レーサーがつくった時代は、終わるどころかこれから一層花開く『時』を待っている。

 最後に今村氏に聞いた。「あなたの成功は『才能』と『努力』、そしてそこにもう一つ加えるとすれば何ですか?」

 間髪を入れずに今村はこう答えた。

「いろんな人に、いい人に巡り会ったことだと思います」

=終わり=

(取材・構成=山西守) 

☆いまむら・ゆたか=1961年6月22日、山口県生まれの59歳。81年5月、48期生として徳山でデビュー。いきなり初戦で初勝利、その節に初優出を果たした。翌年4月には蒲郡で初V。同年5月、住之江オールスター(当時は笹川賞)にSG初出場すると、84年5月の浜名湖オールスターで当時の最年少記録となる22歳でSG初制覇を達成した。その後、ダービー3Vなど、通算7度のSG優勝を飾った。今年10月の引退発表まで39年5か月の現役生活で8207走、2880勝。優勝142回(GI・48V)。生涯獲得賞金29億4144万6172円。これは松井繁(大阪=51)の38億円超に次ぐ歴代2位。今年9月、デビュー戦を飾った思い出の地・徳山GI「ダイヤモンドC」(9月23~28日)を最後に現役を退いた。BOATRACE殿堂入り1号に内定。

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