今村豊の「人間性」を認めたベテラン、艇界全体へと静かに浸透

2021年01月05日 19時49分

艇界に多大な功績を残した“ミスターボートレース”今村豊氏

【〝ミスターボートレース〟今村豊もう一つの功績(2)】今村が全速ターンで起こした新しい波は、一つの時代を終焉に向かわせていく。だが、それは言葉で言うほど簡単なことではなかったはずだ。

 今村の出現によって生活権を脅かされたグループは全力でその波を阻止し、抵抗し、場合によっては潰しにかかっても何の不思議もない。シビアな勝負の世界だ。

 前出の黒明氏が言う。

「それはなかったですね。今村はレースになれば一生懸命だし、きれいなレースをする。自分もまくり屋だったから、今村にどうにか(上を)まくられないよう、そんなことばかり考えていました。彼は人間的にも生意気なところがなく、人懐っこいので誰からも〝今やん、今やん〟って、言われて嫌われることはなかった。それどころか、あの今村に勝たれたら仕方がない、といった雰囲気さえあったですから」と絶賛するのだ。

 では、当の今村はどうだったのか。登番が1つ違えば神様、と言われた時代、強烈な縦社会の伝統を持つ世界だ。不条理なことに悩まされたことはなかったのか。

「細かいことを言えばそりゃね。でも、すぐ忘れることにしていました。艇を当てたと言われたらまず謝る。当てたかどうかは言われた本人が一番よくわかっているんですから。真実が分かっていればそれでいい。デビューしてすぐ、僕は稼いでいたし、目立つ存在で、先輩から見れば、もう杭は出ている。じゃあ、叩かれないようにしないといけない。だからちょっとしたこともサボらずやりました。風呂場やトイレのスリッパを並べたりね。誰もやらなかったことだけど、そんなことを自然に率先してやっていれば、言わなくても先輩たちは『今村がやっている』とわかってくれていました」
 水面ではフェアプレーに徹し、陸に上がれば新人としての分をわきまえる。先輩からすれば文句のつけようがない。

「今になって思えば、僕が学んだことは、人って一歩下がれば、相手も二歩三歩下がってくれる。頭を90度下げれば、相手は100度下げてくれる。確かに僕はボートに乗ればいい成績を取るかもしれない。でもだからって、自分から胸を突き出し、誇示して相手に認めさせても、本当は何も認めてもらってないんです。『あいつの人間性は何なんだ』ってね。人に認めてもらうっていうことは、その競技だけでなく、人間性を認めてもらってこそ初めて本当に認めてもらったということになると思うんです。だから『俺が今村豊だ』と、人に認めさせる必要がない。ちゃんと謙虚にやっていれば向こうから認めてくれるもんなんです」

 20代でSG4V。今でいうならルーキーシリーズに出場するような選手が、艇界のトップに駆け上がり、君臨していたことになる。それを可能にしたのは、レース形態は大きく変えるが人間関係は極力壊さず、維持していこうとする今村の絶妙な流儀だった。

 そしてトップに立ち発信力を得て、初めて縦社会の硬直した不条理に着手、それらを少しずつ溶かしていくのだ。そんな今村に憧れ、また賛同する、上を目指す多くの後輩レーサーたちが感化されていく。今村の流儀は、高きところから低きに流れる水のごとく、やがては艇界全体へと静かに浸透し、古い体制を少しずつ、だが確実に変えていくことになる。

☆いまむら・ゆたか=1961年6月22日、山口県生まれの59歳。81年5月、48期生として徳山でデビュー。いきなり初戦で初勝利、その節に初優出を果たした。翌年4月には蒲郡で初V。同年5月、住之江オールスター(当時は笹川賞)にSG初出場すると、84年5月の浜名湖オールスターで当時の最年少記録となる22歳でSG初制覇を達成した。その後、ダービー3Vなど、通算7度のSG優勝を飾った。今年10月の引退発表まで39年5か月の現役生活で8207走、2880勝。優勝142回(GI・48V)。生涯獲得賞金29億4144万6172円。これは松井繁(大阪=51)の38億円超に次ぐ歴代2位。今年9月、デビュー戦を飾った思い出の地・徳山GI「ダイヤモンドC」(9月23~28日)を最後に現役を退いた。BOATRACE殿堂入り1号に内定。

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