将来を先取りしていた今村豊の全速ターン

2021年01月05日 19時46分

座右の銘はデビュー当時から終始変わらず「努力」
座右の銘はデビュー当時から終始変わらず「努力」

【〝ミスターボートレース〟今村豊もう一つの功績(1)】今村豊氏の引退発表から約3か月。この衝撃ニュースに揺れた艇界もようやく落ち着きを取り戻してきた。第2次黄金期ともいえる現在のボートレース界にあって、この類いまれな天才ボートレーサーが果たしてきた役割は大きい。華やかな記録と実績の裏で、コツコツと積み上げてきた、もう一つの功績について考えてみることは意味のないことではない。いったい今村豊はボート界の何を変え、そして何を残したのか――。

 2020年10月8日、今村の引退会見に際し、コメントを求められた愛弟子・白井英治はこう答えた。

「一つの時代が終わりました」

 今村に最も近い人間だけに、あふれる万感の思いがそう語らせたのだろう。だが、本当に「一つの時代」が終わったのだろうか。

 確かに、競技者として今村が水面を走ることはもうない。しかし、今村がボートレーサーとして登場し、新しい時代を切り開いてきた大きな変革の波は今も艇界の岸を洗い続け、将来へ向かっては、さらに大きく発展していく可能性すら有している。

 なぜそう言えるのか。引退後の今村へのインタビューを通して、3つの観点から見ていきたい。

 まずは今村の代名詞ともなった「全速ターン」について触れないわけにはいかない。このターンによって今村は、一つの時代を終わらせ、新しい扉を自らの手でこじ開け、艇界に革命をもたらしたからだ。

「他艇が止まって見える」とファンを驚がくさせ、当時の第一人者、モンスター・野中和夫氏をして「あんなターンは見たことがない」と言わしめ、黒い弾丸の異名を取った黒明良光氏は「ターンをしてからの立ち上がり(のスピード)が違った」と脱帽した。

 現在の艇界では、誰もが全速ターンを繰り出す。この時、今村は多くの全速ターンの使い手の一人に埋もれたのか? あるいは結局、ただその創始者にすぎなかったのか?

 答えは「否」だ。なぜなら「今村が入ってくる前から僕は全速ターンをやっていましたよ」と加藤峻二氏は言い、「(今村以前にも)国光秀雄選手や北方正孝選手が全速ターンをやっていたね」との黒明氏の証言からも、当時の超一流レーサーらを驚かせた今村の全速ターンが、ただの全速ターンではなかったことがわかる。今村は〝本栖(研修所=当時のボートレーサー養成所)の転覆王〟ともいわれた。その全速ターンを習得するにあたって、転覆を繰り返したからだ。

 だとすれば、今村以降の全速ターンの使い手も、その習得過程で同じように転覆を繰り返さなければ話が通らない。しかし、そんな話は聞いたことがない。なぜか。

 今村は言う。

「僕の転覆は、全速で回って(スピードを制御できなくて)の転覆じゃないんですよ。ターンマークに当たっての転覆。ボートレースはターンマークを外したら負け。だからターンマークのギリギリを狙う。あわよくばターンマークを飛び越えるターンがしたい。ターンマークは三角形でしょう。だから舟(のへさき)を浮かせれば(ターンマーク下部に)当たらない。浮かせられれば越えられる。舟を持ち上げられれば、きれいに越えられるんです。でも、持ち上げられなければぶつかっている。で、転覆なんです」

 現在、峰竜太、池田浩二ら超一流の選手が多用するウイリーの萌芽が、すでに約40年前の今村のターンにあったというのは驚きだ。

 今村はモンキーターンにも言及する。「僕が入ったころ、もうすでに飯田加一さんがやっていましたからね。僕もすぐマネして立って乗れるようになった。でも危ないからって、2度注意された。で、封印したんです。その後、誰もがやるようになってブームになりましたけどね。僕が負けた時『モンキーをやらないから負けた』なんて言われましたけど、関係ないって思っていました。座ったままでも僕は足先と左ヒザだけついて、右ヒザを浮かせ2点で支えてモンキーに近い状態で乗っていましたから。2点で立つと体重が後ろにかかり、前を浮かせられる確率が高くなり、ウイリーしやすくなるんです」

 舳先を浮かすウイリーは、水面に対する接地面が小さく、摩擦抵抗も少ない分、スピードに乗る。黒明氏が「今村のターンは回ってからが違った」
と驚嘆した理由もここにある。

 こうして見ていくと、今村のターンは、モンキーやウイリーにつながる要素やヒントが詰まった、恐ろしく革命的なターンだったことがわかる。

 またターンマークを抱えて回る、箱まくりとも言われた独特のハンドル操作も、かつてなかったもので、ファンの目に焼き付けられた今村のセンセーショナルな登場は、今もって超えるものはない。

☆いまむら・ゆたか=1961年6月22日、山口県生まれの59歳。81年5月、48期生として徳山でデビュー。いきなり初戦で初勝利、その節に初優出を果たした。翌年4月には蒲郡で初V。同年5月、住之江オールスター(当時は笹川賞)にSG初出場すると、84年5月の浜名湖オールスターで当時の最年少記録となる22歳でSG初制覇を達成した。その後、ダービー3Vなど、通算7度のSG優勝を飾った。昨年10月の引退発表まで39年5か月の現役生活で8207走、2880勝。優勝142回(GI・48V)。生涯獲得賞金29億4144万6172円。これは松井繁(大阪=51)の38億円超に次ぐ歴代2位。昨年9月、デビュー戦を飾った思い出の地・徳山GI「ダイヤモンドC」(9月23~28日)を最後に現役を退いた。BOATRACE殿堂入り1号に内定。

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