自民党の小渕優子衆院議員(47)が9日、衆院本会議で今年9月に死去した竹下亘元復興相(享年74)の追悼演説を行った。政治資金問題を巡る“ドリル事件”以降、長らく表舞台から遠ざかっていたが、岸田政権下で徐々に復権の兆しが出ている。

 竹下氏の兄・竹下登元首相と小渕氏の父・小渕恵三元首相は師弟関係で知られ、ともに2000年に急逝。小渕氏と竹下氏は地盤を引き継ぎ、27歳も年は離れていたが、当選同期の関係だった。小渕氏は「竹下先生は兄であり父であり、政治の師であった」と時折、言葉を詰まらせ、涙ながらに故人を悼んだ。

 平成研究会(竹下派)の会長だった竹下氏の死去後、空席だった会長職は先月、茂木敏充幹事長(66)が継ぎ、茂木派となった。自民党関係者は「青木幹雄元参院会長らを中心に竹下派の正統な流れをくむ小渕氏の名前が取りざたされたが、やはりまだ早いとなった。政治資金の事件の影響もまだある」と話す。

 小渕氏は若手のホープとして、34歳の若さで大臣にも就任したが、14年に政治資金を巡る問題が発覚し、経産相を1か月で辞任。ハードディスクにドリルで穴を開ける証拠隠滅が判明し、“ドリル優子”とも揶揄された。

「事件後、“雑巾掛け”を余儀なくされていたが、岸田新体制では党組織運動本部長で表舞台に返り咲いた。派閥でも事務総長代理となり、長老陣の覚えがめでたいので、次の次くらいで“小渕派”となる日がくるかもしれません」(前出の関係者)

 小渕氏は追悼演説で、「竹下先生は来るべき選挙戦にリーフレットを準備し、『八風吹けども動ぜず』の言葉を示されていた。コロナ禍の試練に政治家は新たな覚悟と決断が求められている。今となっては、われわれ政治家への叱咤激励の言葉に思えてなりません」と寄せた。

 逆風にもめげない小渕氏自身がこの言葉を最もかみしめているともいえそうだ。