志村けんさん プロレスラーとマル秘交遊

2020年04月01日 11時00分

全日本の会場を訪れた志村さんが、故ジャイアント馬場さんと談笑(1995年9月、武道館)

 ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(享年70、本名・志村康徳=しむら・やすのり)が3月29日に新型コロナウイルス肺炎により死去し、同30日の発表後は日本中に悲しみが広がっている。志村さんは意外なことにプロレス界とも縁が深く、1990年代には全日本プロレスの会場を訪れ、選手と親交を持った。なかでも四天王の一人だった“デンジャラスK”こと川田利明(56)には、特別な“橋渡し役”を頼んだことがあったという。川田は哀悼の意とともに、当時の秘話を本紙に明かした。

 志村さんと川田の交流が始まったのは、全日本プロレスから故三沢光晴さんらが大量離脱した2000年夏ごろ。当時の全日本所属は川田、渕正信、太陽ケアの3人だけで、渕と志村さんに交遊があったことから、川田も酒席をともにするようになった。「麻布十番の隠れ家みたいな、誰も来ないようなこぢんまりした店が好きだった。何でこんな店を知っているの?みたいな。絶対に威張らないし、偉そうにしない。とても静かに笑顔を絶やさず飲まれていた。楽しいお酒だった」と振り返る。

 全日本が一番苦しい時期だっただけに、その優しさが心にしみた。「あの時期、志村さんは番組をかなり絞り込んで、スペシャル番組だけに出演してたから時間があったんじゃないかな。『俺は今のペースでも食べていけるから』と笑っていたのを思い出す」

 その後は志村さんの深夜番組にゲスト出演するようにもなった。当時、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵(59)と親交があった川田がある夜、麻布の焼き肉店でそのことを告げると、志村さんは「そうなの? 今、呼んで紹介してよ」。すぐに連絡を取ったが、上島は「いやいや、大御所すぎて恐れ多いです」と、かたくなに固辞した。それでも長時間の交渉の末に何とか合流。酒席は弾み、その後に志村さんとダチョウ倶楽部の仕事は一気に増え、人気番組「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)にも出演するようになった。「自慢してると思われるのは嫌だから、あまり言ったことはないけど」と川田は謙遜するが、上島は今でも感謝の思いを持ち続けているという。

 また、川田とお笑い芸人の三又又三(52)が夜中に突然、志村さんからすし店に呼び出されたこともあった。川田に寄せる信頼は絶大だったようで、ジャンルは違えど命がけで「王道」を死守する姿勢に共感を覚えてくれたのかもしれない。

 川田自身も02年にヒザの手術を受けた際、院内感染で原因不明のウイルス性肺炎に苦しんだ経験を持つ。

「あの時は本当に大変だった。ウイルス性肺炎は、原因も分からないままに人間の体をむしばんでいくから。今、こんな非常事態なのに、世間一般は肺炎について無防備すぎると思う。日本が誇る偉大な才能まで、突然に命を奪われる深刻な病気なんだから。志村さんは、その身をもってウイルスの怖さを世間に伝えようとしてくれたのかもしれない。心から無念です。安らかにお眠りください」。川田は静かに哀悼の意を表した。