【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】飲んで遊んで学んだ…赤塚不二夫さんとの不思議な縁

2021年10月24日 10時00分

赤塚さんと対談したときの記事(舞台情報月刊誌「シアターガイド」から)
赤塚さんと対談したときの記事(舞台情報月刊誌「シアターガイド」から)

 先週書いたたこちゃん(たこ八郎)の葬儀の時、泣きじゃくっていた赤塚不二夫(享年72)。彼の家にも良く遊びに行ったな。当然、新宿ゴールデン街の「クラクラ」にも飲みに来てくれてた。あとは区役所通りの「狸御殿」(ゲイバー)に来ると、呼び出しがかかり、たこちゃんと出掛けたりと親しくさせてもらっていた。

 お正月にはたこちゃんと泊まりがけで行くことも。その不二夫邸には自動で出る酎ハイ機械も備えられていた。それで朝から宴会…の日々。他にもいろんな人が遊びに来ていた。かつてタモリが福岡で呼び出され「四か国麻雀」を披露したりして上京し、居候していた逸話も残る不二夫邸だ。奇人変人の溜まり場でもあった。

 ある時は旅行添乗員を生業としている客人が来ていて、カラオケに合わせ、歌詞を英語の直訳で歌う。そのおかしいこと。一芸というのはどこにもネタが転がっている、そしてそれを真面目に楽しむ。赤塚さんのギャグの本質はそこにあったのではないのかな…。ホント、真面目に真剣に遊んでいた。飲みつつ、遊びつつ学ばせてもらった。

 下落合の不二夫プロの近くに「竜の湯」という銭湯があった。そこは不思議な銭湯で、2階が飲み屋になっていて、風呂に入り、そのままパジャマ姿で上がり、ビール飲み、また、ひとっ風呂浴びるということのできる至福の銭湯だった。赤塚さんはそこがお気に入りで「日本で一番早い忘年会」と銘打ち、漫画家グループの忘年会を11月に開催したりと利用し、遊び倒していた。そこに浮世絵を描いたステージを作ってしまったほどだ。

 たこちゃんが亡くなった後もその銭湯などでもよくご一緒した。家族連れで行き、呑んで風呂に入り…。私のカミさんの九州の実家家族と一緒の時にも気軽に色紙描いてくれ、今も九州の家の壁に大切に飾られている。

 私のひとり芝居「四畳半襖の下張り」もそこで何度か演じさせてもらった。年末の「クラクラ」の忘年会を兼ねて。題して「ひとり芝居と銭湯と宴会付き大忘年会」。

 そんな縁を繋いでくれたのも赤塚さん。が、2008年8月2日、ついに帰らぬ人となってしまった。その夜の不二夫邸にも立ち会い、お別れをさせてもらえたのも不思議な縁だ。 (敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組秋公演「戦争童話集」(東京・新宿「雑遊」)を10月28日~11月7日に上演。

【関連記事】

関連タグ:

ピックアップ