【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】大らかな笑顔で迎えてくれたおばちゃんがいた「小茶」とゴールデン街は地続き

2021年05月02日 10時00分

「小茶のおばちゃん」こと青柳フジさん。この時代の新宿の「顔」の一人だった(外波山氏提供)

 1970年代の初めは映画、演劇、文学など既成の形が崩れていく、崩されていった時代だ。映画の世界ではATGの1000万映画(注・製作費を指す)が良質の作品を創りだし新宿アートシアターで上映。演劇ではアングラと呼ばれる唐十郎の状況劇場が花園神社境内に紅テントを張り公演を続けていた(1回目は67年)。そんな新宿の熱さを受け止めてくれていたのがゴールデン街だった。でもこの街を語る前に触れておきたい店がある。

 区役所通りの向こう、ゴールデン街から数分の路地に広がる飲屋街の一角にあった「小茶(こちゃ)」だ。店の広さは2坪。木のカウンターと座れば5人ほどの長椅子。階段を上ると2畳の小部屋。そこに大らかな笑顔で我々を迎え入れてくれていたおばちゃんが居た。小茶のおばちゃんこと青柳フジ。大正3年の五黄の寅年生まれ。私のお袋も同い年だったせいかおばちゃんには可愛がられた。

 毎日築地まで買い出しに行きマグロを仕入れぶつ切りで出す。鮭の切り身のでかさは他に類を見ない。大鍋で煮しめを作り、〆のご飯を頼むと特大の握り飯が出て来る。酒は一升瓶そのままカウンターに載せ、自分で注ぎ量り売り。何杯飲んだかは自己申告制。慣れないと付いていけない豪快なおばちゃんだった。まだ、ゴールデン街が敷居の高い我々には、ここで慣れ親しんでからゴールデン街に馴染みの店を持つのが定番だった。

 小茶では、まだ十代で歌手デビュー前のりりィ、デビューしたばかりの三上寛(フォーク歌手)などと仲良くなりよく呑み遊び無茶ばかりしていた(さすが東スポでもここには書けない・笑)。寛とは71年の「はみだし劇場」旗揚げ東北放浪旅へ一緒に行き路上で演じ唄ったり、彼のライブにも特別出演したものだ。

 松竹の渡辺祐介監督にもかわいがって貰い「ドリフターズ映画に出ないか」と誘われ、松竹大船撮影所まで行った事がある。憧れの大船! それにドリフターズだぜ。嬉しかったな!

 2階の座敷に寝泊まりしていたおばちゃんの唯一の楽しみの花札に付き合い、朝迄過ごしたのも懐かしい思い出だ。この小茶での交友録は…つづく。この小茶とゴールデン街は地続きなのだ!(敬称略)

 ◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

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