【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】戦後の闇市が移転されてつくられた街 俗称は「青線」

2021年04月11日 10時00分

経営するバー「クラクラ」のカウンターに立つ外波山文明氏。ここでさまざまな人たちが言葉を交わし合った

 日本が世界に誇る“飲み屋街”それが東京の新宿ゴールデン街だ。作家、ミュージシャン、俳優、映画監督、画家らが多く集い文化をつくり続けてきた街の一角にあるバー「クラクラ」にかかわり、経営を引き継ぎ、街とともに50年以上生きてきた役者・外波山文明氏が、街の魅力と人とのつながりを語ってくれる。

「新宿ゴールデン街」。かつて魑魅魍魎(ちみもうりょう)がバッコし妖しげな住人が支配した街として恐れられていた地域。しかし、今は健全な飲食街として酒好きな日本人だけでなく、外国人観光客にも人気スポットとして大好評…日夜にぎわいを魅せている歌舞伎町屈指の繁華街だ。

 が、最近のコロナ禍のために火の消えたような日々が続き、危機感を募らせてもいる。そんなゴールデン街で50年余も飲み続けていた私がお送りする記録に残らない記憶の物語…!

 気ままにお送りします。どうぞ、こんな新宿歌舞伎町の裏町にこんな裏歴史が隠されていたんだ…!と、怖いもの見たさでのぞいてみてください。

 この街は戦後、新宿駅周辺に密集した闇市を1949年にGHQが撤廃を指示し、移転されつくられた街だ。当時は大家がそのまま店舗経営をし、ほとんどの店が飲食店名目で売春まがいの生業をしていた。風俗営業法の許可を取らないもぐり営業のため、俗称で「青線」と呼ばれていた(一説に警察の地図に青鉛筆で囲われていたので青線と呼ばれていたとか…。ちなみに二丁目は風営法許可場所であるため赤線と呼ばれていた)。

 今では60メートル四方に290軒以上の店が軒を連ねる、世界に類を見ない超有名(?)な飲屋街となってはいるが、その70年の歴史の中に、我々がこれから生きる上での力強い知恵とヒントが隠されていると思う。ニンゲンのたくましさ、力強さ、したたかさ、良い意味のずるさと弱さ…。そんな人々の営みが、この街を支え今なお輝きを失せずに生き延びている。私はこんな「ゴールデン街」が好きだ!!

 ◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

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