【鈴木涼美・連載9】日経を辞めて1か月後くらいに“文春砲”が…

2018年03月25日 10時00分

“文春砲”を食らった鈴木涼美氏

【東大大学院出身の元セクシー女優・鈴木涼美「ワタシの値段」(9)】日経新聞では取材記者を経験してから、整理部に配属になったんです。新聞社の整理部っていうのは、記者が書いた記事を紙面でどう扱うか決めて、見出しをつけレイアウトをする部です。余談ですけど、日経の整理部って「俺たちが新聞を作っているんだ」っていうエリート意識があって、給料もちょっと高いんですよ。私も結構、細かい作業が好きだったみたいで、整理部にハマってましたね。

 でも、整理部って取材をするわけじゃないから、時間もあって。そのころ、大学院時代に書いていた論文を書き直したものが本になったんです。「『AV女優』の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」(青土社)っていう本です。そのころはあっちこっちの出版社で、コラムみたいなものも書いてて、出版社から「原稿ください」「連載やりませんか」とかいろいろ言われてたんです。

 中には講演の依頼なんかもあったんですが、日経の社員だから当然、NGですよね。それに、本が出るに当たって顔写真はどうするなんて話にもなったり、これから先どうするか、なんて岐路に差し掛かった感じだったんです。

 どうしようかなと考えたとき、そもそも私はどうして新聞記者になったのかと考えはじめ、新聞記者という肩書が欲しかったんじゃないかなぁと初心に帰り、「辞めよう!」と決断したんです。

 日経を辞めてから1か月後くらいでしたかね、“文春砲”を食らったのは。当時、文芸春秋社が出している「文学界」っていう雑誌があったんですが、その編集者から、「月刊の『文芸春秋』が連絡先を教えてほしい」という連絡があったので、いいですよと答えたんです。程なく連絡がきたんですが、多分、向こうは「週刊文春」と名乗ったんでしょうけど、私は月刊の「文芸春秋」の編集者からだと勘違いしていたんです。日常会話のように「そういえば日経辞めたんですよね」「元AV女優だったんですよね?」と会話が進み、気付けば事実の裏とり作業に付き合ってました。

 その時点で記事は出来上がっていて、「取材を受けてくれれば違うところは訂正する」と言いだしたから、そりゃ、取材を受けるしか選択肢はなくて、新宿のバーガーキングで取材を受けましたよ。それで「日経記者は元AV女優だった!」の記事が出来上がったというわけです。

 いま思えば、文春と日経は、日経社長情実人事訴訟なんかをやっている間柄だったから、しょうがなかったんでしょうね。まあ、そのころプロフィルにAV女優だったことを入れるかどうかで悩んでいたので、ちょうどよかった? もっとも今では文春とべったりだったりするから、まぁいいんですけどね。

☆すずき・すずみ=1983年7月13日生まれ、東京都出身。2002年に慶応義塾大学環境情報学部入学。そのころからキャバクラで働きはじめ、04年にAVデビュー。07年、東京大学大学院学際情報学府に入学する。卒業後、09年4月、日本経済新聞社入社。都庁や総務省記者クラブ、整理部などに所属。13年に修士論文を元にした著書「『AV女優』の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」(青土社)刊行。14年8月、日本経済新聞社退社。同年11月「身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論」(幻冬舎)を出版し、17年7月に映画化される。著書には「愛と子宮に花束を」(幻冬舎)、「おじさんメモリアル」(扶桑社)。