遅すぎた辞任…。東京五輪・パラリンピックの開会式の楽曲担当を務めていたミュージシャンの小山田圭吾(52)が19日に辞任したことに多くの国民が胸をなでおろしている。それだけ小山田が障がい者の同級生をいじめていたというインタビューはインパクトが大きかった。実はほかにも不謹慎エピソードはあり、これ以上、職にとどまるのは限界だった。

 「この度の東京2020オリンピック・パラリンピック大会における私の楽曲参加につきまして、私がご依頼をお受けしたことは、様々な方への配慮に欠けていたと痛感しております」

 19日午後7時10分に小山田はツイッターを更新し、楽曲担当を辞任することを表明した。

「関係各所にて調整をさせて頂き、組織委員会の皆様へ辞任の申し出をさせて頂きました。皆様より頂きましたご指摘、ご意見を真摯に受け止め、感謝申し上げると共に、これからの行動や考え方へと反映させていきたいと思っております。この度は、誠に申し訳ございませんでした」

 小山田が辞任するとの観測が流れたのは午後7時前のこと。都政関係者は「すでに小山田氏が作曲した曲はあるはずですが、それがどうなるかは分かりません。後任がいるのかも関係部局から教えられていない。すべて組織委員会マターになります。とにかく小山田氏が役職を外れることは確かです」と突然の報に驚くばかりだった。

 その後、組織委が会見し、「小山田氏の楽曲については開会式では使用しない」と断言したが、その分をどうするかは早急に検討するという。また、パラリンピックの開会式の担当についても、小山田を交代させることを明らかにした。

 そもそも楽曲担当を務めることが明らかになったのは14日。直後に過去の雑誌インタビューで障がい者へのいじめ自慢を行っていたことがネットを中心に拡散され、メディアも取り上げ始めた。16日になって小山田はツイッターで謝罪文を公表。辞任はしなかった。

 ところが、海外メディアまで報道しだしたことで万事休す。加藤勝信官房長官は19日の記者会見で「大会組織委員会が適切に対応することが重要だ」と突き放した。組織委員会は同日、高谷正哲スポークスパーソンが「開会式の準備における小山田氏の貢献は大変、大きなものであり、開会式に向けて引き続き最後まで準備に尽くしていただきたい」と述べるなど、最後まで〝抗った〟が、結局持たなかった。

 実は問題となったいじめ自慢インタビューのほかにも、小山田には〝前科〟があった。1996年発売の「月刊ギグス」2月号(シンコーミュージック・エンタテイメント)のインタビューで、「フリッパーズ・ギター」としてデビューする直前の出来事として、入院した時の話をしていた。友人と一緒になって病室でギターを弾いて騒いでいたという。

「ふたりとも寝ないから、夜中にガンガンやってると、癌の末期患者の人とかの呻き声が『ウーッ』とかって聞こえて来る(笑)」と、なぜか末期がんの人を笑う。

 さらに、「機械につながってるんだよ、そういう人とかって。『ピーン、ピーン』とかいう機械みたいなのがあって、夜中に『ピー!』とかって音が反応するの(笑)。それで『ああ、今日もまたひとり死んだ』とか言って(笑)。『夜中にあんたたちがギター弾いているからだ』って看護婦さんに怒られた(笑)」と死の瞬間も笑っていたという。

 小山田はこのエピソードを「心暖まる話だよね」と語りだす露悪性も発揮していた。いじめや障がい者差別ではないが、高齢者や病気の人へのいたわりはない。

 ほかにもこんなインタビューが出てきたらと思うと、開会式前になるようになったことはよかったのかもしれない。