俳優で歌手の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが天国に旅立った。今月20日に死去していたことを所属事務所が28日に発表した。91歳だった。シャンソン歌手としてブームを支え、俳優やタレントとしても活躍。すさまじいオーラを放ちながらも素顔はチャーミングだった。後輩俳優の面倒見も良く、その演技指導が〝美輪式〟として受け継がれているという――。
所属事務所の公式サイトによると、美輪さんは老衰のため20日午前9時30分に亡くなった。約3か月前に体調を崩してからは、自宅で療養していたという。最後は「『ありがとう』と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じました」といい、直筆メッセージを次のように紹介した。
「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません。この世のすべての問題を解く鍵は愛です。愛があれば戦争なんか起こりません 美輪明宏」
葬儀告別式は本人の意向ですでに執り行い、お別れの会などの予定はない。
美輪さんは1935年5月15日生まれ。長崎県出身。52年にシャンソン歌手としてデビューし、57年の「メケ・メケ」が大ヒットしたほか、65年の「ヨイトマケの唄」など多数の曲を自作した。
シンガー・ソングライターの先駆け的な存在でシャンソンブームを支えた。また、俳優・声優としても活躍。舞台「黒蜥蜴」「双頭の鷲」「椿姫」やアニメ映画「もののけ姫」「ハウルの動く城」で注目を集めた。座長として数々の舞台を成功に導きながら、後進の育成にも力を注いだ。舞台関係者がこう振り返る。
「どれだけ大御所になっても演技で気付いたことがあれば声をかける方です。存在だけでなく行動でも役者陣を引っ張ってくれていました」
実際に〝恩師〟と慕うのが俳優のいしだ壱成だ。19歳の時、美輪さん主演「毛皮のマリー」(1994年)で初舞台を踏んだ。その時、「あなたは天才なの。才能があるの」と認められ、演技のいろはを伝授された。その教えを壱成は〝美輪式〟と呼び胸に刻み、後進に伝えている。
「一番強く言われたのは『3つ以上の視線を持ちなさい』。自分の視線、演じる役柄の視線、そして『一番大事なのは客席から自分を見る視線よ。人からどう見えているかを常に計算して芝居をしなさい』と」
ほかにも俳優としての準備や心構えなど教えられたことは多岐にわたったという。
「美輪さんからは『私はあなたにすべてを伝えたから』と言われました。だからこそ僕はまだ俳優を続けられています。自分は美輪さんの認めた俳優なんだと肝に命じて、死ぬまで教えを生かし続けていきます。今は本当に、ゆっくりおやすみになられてくださいと伝えたいです」と追悼した。
後年には、圧倒的な存在感と卓越した人生観で、レギュラー番組「オーラの泉」(テレビ朝日系)などに出演。舌鋒鋭いご意見番として引っ張りだこだった。キー局関係者が明かす。
「スタジオを見守りながらくすくすと笑う時と、持ち前の感性と知識量から鋭く突っ込む時の緩急で番組を引き締めてくださいました。初めてごあいさつさせていただいた時に、すぐに下の名前で『じゃあ○○ちゃんね。よろしく!』と返していただいたことを覚えています。すさまじいオーラをまといながらも、優しくチャーミングな方でした」
非凡な才能と気さくな人柄で周囲を魅了し続けた美輪さん。そのあふれる愛は今も人々の胸に刻まれている。












