「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られた歌手の八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため、死去したことが明らかになった。73歳だった。9日に所属事務所が発表。後日、お別れの会を開く。マルチな才能に恵まれ、歌手だけではなく画家としても活躍。その一方で保護猫に対する愛情も深かった。そんな「演歌の女王」の秘話をお届けする――。
所属事務所によると、膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症。昨年9月に病を公表し、芸能活動を休止して療養を続けていた。
昨年12月30日に亡くなった後、八代さんの強い遺志により事務所スタッフのみで今月8日に葬儀を行ったという。同事務所は「これから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され、皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思います」とつづっている。
ある音楽関係者は「秋口には病院に入院したと聞いて、お見舞いに行こうと思ったら『お見舞いはできない』と言われていた。まさかこんなに早く亡くなってしまうとは」とぼうぜん。また、ある親しい関係者も「本人の意向で『外部の人には自分の体調が悪いということを言わないでくれ』と。ギリギリまで歌を歌っていたというから、復帰するつもりだったのでは」と振り返った。
八代さんは中学卒業後に歌手を目指して上京。東京・銀座のクラブの専属歌手を経て、1971年に「愛は死んでも」でデビューした。芸名は出身地の熊本県八代市にちなんで付けた。72年にテレビの歌謡選手権を勝ち抜き、翌73年に「なみだ恋」が大ヒットを記録。酒場でしみじみと燗酒をあおる男の心理を歌った79年の「舟唄」で人気を不動のものとした。80年には「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞した。ほかにも「おんな港町」「愛の終着駅」などヒット曲多数で、ブルースやジャズなど幅広いジャンルを歌いこなした。
歌手としてだけではなく、フランスの絵画公募展「ル・サロン展」や二科展で入選を重ねるなど、画家としても高く評価された。ある業界関係者がこう明かす。
「八代さんによると絵を描くことで歌の世界が広がり、歌を歌うことで絵に対する考えが深まるそうです。絵に打ち込む際、声を一切出さず喉を休ませることもできる。歌手活動にとって『なくてはならない存在』と言っていました」
そして、その絵のモデルにもなっていたのが「猫」。子供のころから動物好きで、中学生時代から捨て猫などの保護活動をしていたという。
「実家では小さなころから捨てられた犬や猫をそれぞれ20匹ほど飼っていて、飼い主を探していたとか。最近でも2匹の保護猫を溺愛し、テレビなどで『保護猫界のレジェンド』として紹介されたこともあった。絵のモデルも務める愛猫と一緒に“長生きをすること”を目標にしていた」(同)
こんなエピソードもある。
「八代さんは、仕事現場で服に猫の毛が付いていることがあっても『私から離れたくないんだから』とその毛を紙に包んだりして家に持ち帰ったこともあるそうです。そのぐらい大事に扱っていた」(同)
そんな愛情深い人柄は幅広い世代に慕われた。八代さんのアトリエをアポなしで訪れたこともある若手演歌歌手の青山新もその一人。前出の音楽関係者は「青山が八代さんを慕っていることを聞いて番組にサプライズ登場して、一緒に歌を歌ったこともある。青山には後日、プレゼントを贈ったそうです。八代さんは後輩の面倒見がすごく良かったし、後輩も慕っていました」と故人をしのんだ。












