【今週の秘蔵フォト】1970年代のシティーポップが再ブームとなっている現在、その歌唱力と楽曲の素晴らしさ、バックバンドの演奏のレベルの高さが改めて評価されているのが大橋純子だ。
ジャニス・ジョプリンの影響を受け、74年にアルバム「フィーリング・ナウ」でデビュー。76年のセカンド・アルバム「ペイパー・ムーン」の表題曲がヒット。77年には大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義でリリースした「シンプル・ラブ」も一気に注目を集める存在となった。
美乃家セントラル・ステイションは元一風堂の土屋昌巳が在籍。テクニシャンぞろいのハイレベルなバンドで、大橋の歌を完璧にサポートした。
77年12月11日付本紙には「シンプル・ラブ」がヒット中だった大橋のインタビューが掲載されている。見出しは「大学祭でモテモテのポップス娘」。各学園祭で引っ張りだこの存在だった「明治、東海、明学、日大、白百合女子、甲南…あと何だっけ?」と語る大橋の言葉に記者は「まさにキャンパスの女王と呼ぶにふさわしい」と記しつつ「まさにポップスひとすじ。残念ながら大衆受けしない分野」とも分析している。
「昨年までは知る人ぞ知る存在だった。ポップスを歌わせてもらえる場所がなかったんです。かといって歌謡曲はイヤだったし、どうしたものかと。今年になってやっと生きられる場所ができたという感じです」とごく自然体で語った。
この年はスペインのマジョルカ音楽祭で3位入賞、レコード大賞にもノミネートされた。「もっと自分のペースで仕事します。考える時間がほしい。ハードスケジュールをこなしていくと先は見えてくるでしょう。海外のミュージシャンのように優雅にやりたい」とアーティスト志向を明かした。
その志は現実となり、78年には「たそがれマイ・ラブ」、81年には「シルエット・ロマンス」の日本ポップス史上に残る名曲が大ヒットを記録して「たそがれマイ・ラブ」は実に20人以上もの歌手にカバーされた。
その後も「愛は時を越えて」などのヒット曲を出し続け、大橋は日本ポップス界を代表するシンガーへと昇華。現在もその評価は衰えていない。












