【今週の秘蔵フォト】シティーポップ再ブームの現在、再び評価を高めているのがシンガー・ソングライターの八神純子だ。1978年1月5日、20歳の誕生日に「思い出は美しすぎて」でデビュー。その直後の2月25日付本紙に「スキンシップの実力派」との見出しでインタビューが掲載されている。
インタビューは、当時流行していた横溝正史原作のミステリー映画「八つ墓村」と「犬神家の一族」を足して2で割ったような名前(本名)だと思いっきり斜めの質問から始まっている。それでも「ウフッ。よく言われるんですけど光栄です。映画にあやかって私のレコードも大ヒットしないかしら」と笑顔で答えている。
デビュー直後にもかかわらず、実はアマチュア時代から音楽的なセンスは高く評価されていた。74年には愛知淑徳高校に在籍しながら、16歳で初めて作詞作曲した「雨の日のひとりごと」が第8回ポプコン優秀曲に選ばれ、75年の世界歌謡祭では歌唱賞を受賞。デビュー前から名だたる存在だったのだ。3歳から英才教育を受けており「ピアノと日本舞踊を習っていました。当時は嫌でしたが、今思うとそれが今の私を支えているのかなと」と語った。
「小さいころからザ・ピーナッツを見ていてステージにあこがれていました。何でも一生懸命やれば皆さんにも分かってもらえると思う。私って誰とでも仲良くなれるんです。コンサートでもファンとは線引きしないし。ファンとのスキンシップが楽しみですが、シンガー・ソングライターと呼ばれるよりはシンガーとして歌唱力で勝負したい」と早くも堂々した姿勢を見せた。実は6月にはファーストアルバムの発売、9月には全国縦断コンサートも決まっており“勝負の時”を控えていたのだ。
その言葉通りに同年9月に「みずいろの雨」がオリコン2位の大ヒットを記録。一気にトップシンガーとなり「ポーラー・スター」(79年)、「パープルタウン」(80年)の大ヒットを飛ばした。86年に英国人の音楽プロデューサーと結婚して米国に移住したが、音楽活動はコンスタントに継続。昨年には米国で日本人として初めて女性シンガー・ソングライターの殿堂入りを果たしている。














