18日の交通事故が原因で19日夜、81歳で生涯を閉じた「ザ・ドリフターズ」のメンバー・仲本工事さんは1966年、列島が沸いたビートルズ来日公演の前座を務めた。

 仲本さんは学習院大2年の62年、訪れたジャズ喫茶で演奏していたバンドに飛び入り参加。そのバンドのドラマーが2歳年下の加藤茶だった。同大3年時、故ジェリー藤尾さんの専属バンドの歌手オーディションに合格し、高木ブーと出会った。そして大学4年の64年、当時人気バンドだった「ザ・ドリフターズ」から声がかかった。

 それから2年後、あのビートルズからオファーを受けたことについて、仲本さんはこう語っていた。

「最初にオファーを受けたときには『40分間やってくれ」という話で、かなりの数のネタを考えていた。でも、本番1週間前には持ち時間が20分になり、2~3日前には10分になった。さらに、前日になって『もっと短くしてくれ』。そして、当日になったら『40秒にしてくれ』となった」

 40分が40秒になるという衝撃的な展開にもドリフは〝応えて〟みせた。

「40秒っていったら、やる曲なんて限られちゃう。ボクらのネタの中で唯一、その時間内に終われるのが『ノッポのサリー』という曲で、そのネタをやるときに歌うのがボクだったんだ。偶然に偶然が重なった結果〝ビートルズの前座で歌う〟という大役がボクに巡ってきたワケ」

 会場の日本武道館のステージは階段の上り下りが大変で、実際に演奏したのは30秒ぐらいだったという。ちなみにビートルズと楽屋が別なのはもちろん、廊下の真ん中が幕で仕切られていてビートルズ専用の通路が設けられたぐらいだからすれ違いようもなかった。出番が終わって楽屋に戻った後も、ビートルズの演奏を堪能したわけでなく、ワーワーという歓声しか聞こえなかったという。

 あまりに何ごともなかったから、「当日の思い出が残ってない(笑い)。後年になってだよ。あっ、すごいことだったんだなって思ったのは」と振り返った。

 まったく顔を合わせることがなかったとはいえ、大きな〝勲章〟になったことは間違いない。