最後の汗が、流れ落ちた――。村上義弘(48、京都=73期)が29日、日本競輪選手会を通じて引退を発表した。2012年京王閣、2016年立川で競輪界最高峰のレース「KEIRINグランプリ」を2度制覇。GⅠは日本選手権4度を含む6V、GⅡも5度の優勝を数える。その実績に加え、すべてを出し尽くすスタイルでファンの胸を打ち続けた輪史に名を残すレーサーが引退した。
1994年4月に小倉競輪場でデビュー。今年9月松阪競輪場の最終日(12日)の特選10Rの1着がラストランとなった。28年の選手人生は苦しみとの闘いだった。
恵まれた体格ではなく、武器は根性一つ。母子家庭で育った村上は、家族を楽にしたいという思いで競輪選手を目指した。「先行一本」。デビュー後は、重くのしかかる風にぶつかり続け、負け続け、活躍する他の選手たちの背中をひたすら追いかけていった。
誰にも負けない練習量で〝先行日本一〟と呼ばれるようになり、輪界の頂点に君臨。レースでは「ファンが求めているものを」出し切ることでカリスマとも呼ばれた。オールスターファン投票で3度の1位は何よりの勲章だ。
5つ離れた弟の博幸が2010年にグランプリを制した時には「母を、日本一の母にすることができた」と兄弟で涙を流した。
競輪に対する厳しさは郡を抜くもので、〝ムラカミ〟を高校時代から知る元選手の山岸正教さん(JPF、81期=引退)は、引退の報を聞き「やれることをすべてやっていた。レースで出し切るために、練習でその体をつくるために、ずっと一切の妥協をしなかった。それをやれた選手はいないと思う」と村上の選手生活を思いやった。
「村上のスタイルは完全燃焼。残念とか、まだやれるんじゃないかと思う気持ちもあるが、彼が決めたなら最良のタイミングということでしょう」
山岸さんは向日町競輪場の運営に携わっており「ファンのみなさまに挨拶できる場を向日町競輪場として準備したいですね」と、ファンとの時間を設けたいと語った。
村上に憧れ続けた近畿の後輩の稲川翔(37、大阪=90期)は「言葉が出てこない」と絶句した。長く一緒に熱い時間を過ごした偉大で大好きな先輩。近年はケガや病気もあり、思うような走りができないことも増えていた。「許せなかったんでしょうね、自分の中で…」と声を震わせた。
とにかく厳格な態度で競輪と向き合っていた。ある開催でウォーミングアップの最中、レースを観戦していると他の選手と「お子さん大きくなりましたか。上の子と、下の子がいると、それぞれに気を使わないと大変ですよね」といった話になっていった。
家族の話をして、レースを見て、としていると急に「アカン!アカン!」と叫んだ。「レースの前に家族のことを考えたらアカン!」。口元を引き締め、レースを見終えると、また静かにアップに戻っていった。レース前に家族のことを考えるのは、村上の中でのタブーだったのだ。
競輪選手養成所の滝沢正光所長(43期=引退)の走りに憧れ「町内を自転車で乗り回った」という村上少年の歩みは、ついにやんだ。愛くるしい笑顔と、鬼の形相と心を合わせ持つ不世出の競輪選手〝ムラカミ〟が流した汗は深くバンクに染み込み、競輪の歴史そのものになった。












