「日本バッティングセンター考」(双葉社)を著したライターのカルロス矢吹氏(36)と本紙おなじみの流通ウォッチャーの渡辺広明氏(54)がスペシャル対談を実施。事業継承、ロイヤルカスタマー育成などビジネス的にも重要な単語が飛び出した“バッティングセンターの経済学”で今日は思いっきりかっ飛ばせ!
渡辺広明(以下渡辺)バッティングセンター(以下バッセン)が最盛期の70年代には全国で1500か所もあったということに驚きました。
カルロス矢吹(以下矢吹)2006年にはその半数以下になっていて、今はもう500~600か所まで減っていると思います。
渡辺 矢吹さんはどのタイミングでバッセンの減少に気づいたんですか?
矢吹 最初は若い人がアーケードゲームで遊ばなくなったゲームセンター不況だと思っていたんです。ただ僕が生まれ育った地元宮崎のバッセンがなくなったこと、それから東京・練馬の氷川台のバッセンが3年くらい前になくなって、人口が多い都内の住宅地でもなくなってしまうんだと危機感を覚えました。
渡辺 なるほど。僕の長男が昔野球部で、小学生だった10年前には横浜・日吉の近くのバッセンにあちこち連れて行ってたんです。でも大きくなって行かなくなって気づいたら4軒中2軒が潰れてしまっていた。
矢吹 多くのバッセンが今、事業継承の問題を抱えています。バッセンって思ったよりもマシンのメンテナンスが重要なんですよ。マシンを調整しないときちんとした球が出ない、するとお客さんが「ココはダメだ」と離れていく、老朽化の対策が打てないという負のサイクルにハマってしまうんです。細かいことを言えばマシン専用の軟式球も定期的に入れ替えないといい球とはならないんですよ。
渡辺 ボウリングブームの終焉をきっかけに70年代半ばに第2次バッセンブームが起こったということだから、日本のバッセンの経営者は高齢化しているわけですよね。
矢吹 その通りです。取材のお願いをする中で、「来年やめようと思っているから…」と断られたこともありました。ただ、それでも細々と営業を続けていく経営者がいるのは野球好きのためにというケースがほとんどでした。渡辺さんは今日久しぶりだとおっしゃってましたが、ちゃんとバットに当たってたじゃないですか。それって野球部じゃなくても野球に触れて、バッセンで遊んだ経験があったからなんです。
渡辺 大学生のときにデートで行ったこともあれば、今日みたいにスーツで打席に入ってストレス解消したこともあります(笑い)。
矢吹 でも今の若い子って本当に野球に触れてないんです。ホームベースの真上に立っちゃう子や右利きなのに右手にグラブをつけちゃう子とか本当にいますから(苦笑)。
渡辺 確かに。野球をやってないウチの次男はルールすら危ないかもしれないな…。
矢吹 結局、小中学生のどこかでバッセンに行かないまま大人になってしまった人たちはバッセンで遊ぼうという発想に至ることすらないんです。
渡辺 矢吹さんの世代はやっぱりイチローの影響が大きかった?
矢吹 はい。イチローの登場とストラックアウトはバッセンにとって救世主でした。バッセンは単なる遊びじゃなく、ここで練習すればメジャーリーガーになれるかもしれないという夢を見させてくれましたから。また、テレビ「筋肉番付」(TBS系)をきっかけに流行したストラックアウトはバッセンに行列ができたほど繁盛したと語るオーナーもいました。今も残っていて、バッセンが打てる&投げられる場所として親しまれる重要なものだと思います。
渡辺 ボウリングはスコアがしっかり出ちゃうからうまい、下手が一目瞭然なんだけど、バッティングとかピッチングは雰囲気で楽しめるのがいい。よくドカベンのモノマネしましたよ(笑い)。
矢吹 米国のバッセンは野球する人の専用練習場といった感じで、とにかく広いし、ガチなんですよ。ところが日本はアミューズメント施設としての要素も含んでて、待ち時間を潰せるようにゲーム機が並んでいたり、繁華街にもある。ちなみに日本初のバッセンは1965年、錦糸町駅前の東京楽天地ビルの屋上に開設された「楽天地バッティングセンター」(5年弱で閉業)です。
渡辺 言われてみればススキノ、歌舞伎町、大阪の梅田にもバッセンがありました。
矢吹 やはり着替えないで楽しめるところが肝なんだと思います。
渡辺 どの業界でも長く続けるためにはロイヤルカスタマーが欠かせませんが、何がバッセンの“起爆剤”だと思いますか?
矢吹 僕が経営者なら未就学児を1日1ゲーム無料にします。連れてきた親御さんも見てたら打ちたくなるでしょうし、小中学生までに1回でもバッセンで遊んだことがあるパイを増やすことが持続可能性につながると思います。
渡辺 我々オジサンもバッセンがなくなることを嘆くより打席に立ち続けるしかありませんね!
☆かるろす・やぶき 1985年生まれ。宮崎県出身。作家、株式会社フードコマ代表。大学在学中より、グラストンベリーなど海外音楽フェスティバルでスタッフとして働き始める。以降、日本と海外を往復しながら、世界各地のポップカルチャーに関して執筆業を開始。これまでに取材で世界60か国以上を歴訪した。
☆わたなべ・ひろあき 1967年生まれ。静岡県浜松市出身。「やらまいかマーケティング」代表取締役社長。大学卒業後、ローソンに22年間勤務。店長を経て、コンビニバイヤーとしてさまざまな商品カテゴリーを担当し、約760品の商品開発にも携わる。著書に「コンビニが日本から消えたなら」(KKベストセラーズ)。
【取材協力=大塚バッティングセンター】東京都豊島区南大塚1―52―4 大塚レジャービル2階。大塚駅南口から徒歩1分。9~22時。1ゲーム20球(メダル1枚300円、メダル4枚1000円、小学生以下200円)、℡03・3946・7608。













