女優の木内みどり(本名・水野みどり)さん(享年69)の突然の訃報に芸能界だけでなく、各界で悲しみが広がっている。仕事先の広島市内で18日に急性心臓死のため急逝した木内さんは多くの名作を脇役として支えた。1980年代のバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)、最近では“脱原発の母”としても知られた名女優のマル秘エピソードとは――。

 木内さんは公開中の映画「夕陽のあと」に出演。17日夕方には、仕事で訪れた広島市内を散策している様子をツイッターに掲載していたが、同市内で息を引き取った。

 名古屋市出身で劇団四季を経て、1971年に映画「『されどわれらが日々―』より 別れの詩」でデビュー。ドラマ「熱中時代」、映画「死の棘」など数多くの作品に出演し、人気を博した。

 衝撃的だったのは85年から「――元気が出るテレビ」でビートたけし(本紙客員編集長)の秘書役を務めたこと。約7年にわたって、たけしや故松方弘樹さん(享年74)らとともに陽気に笑い転げる姿は番組になくてはならない存在だった。

 38歳の時に、実業家の水野誠一氏と結婚。

「当時、水野さんは西武百貨店の常務だったのですが、結婚した1年後に社長に就任し、木内さんは“あげまん”と呼ばれるようになった」と芸能関係者。その後、水野氏は参院議員に当選するなど政治家としても活躍していく。

 最近の木内さんのトレードマークは真っ白くなった髪。今年10月にNHKBSプレミアムで放送された「八つ墓村」に出演した時、老婆役をやったことがきっかけだった。

「白髪のかつらをかぶる予定だったそうですが、どうせなら白髪になってしまおうと、髪の毛の色を抜いたそうです。一度、白髪になってしまうと気が楽になったとかで、そのままでいたそうです」(同)

 本物へのこだわりがあったのだろう。今年6月に公開された映画「エリカ38」でも本物へのこだわりを見せていた。故樹木希林さん(享年75)の企画で、浅田美代子が主演した作品だった。

「劇中で使用する帯封の付いた100万円の束があったのですが、用意されていたのは上と下だけ1万円札で、あとは紙の束だった。木内さんがどうせならと、自分で帯封付きの100万円の札束を持ってきたそうで、周囲は驚いていた」(同)

 同作で木内さんは詐欺師役の浅田の仲間を演じたが、観客からは「一番怖いのが木内さんと評判だったそうです」(同)。

 一方、最近は“脱原発の母”として政界でも知られていた。

 2011年の東日本大震災の原発事故を機に、脱原発を訴え、親交のあった音楽家の坂本龍一らとともに、脱原発集会や首相官邸前での再稼働反対デモなどでマイクを握り続けた。北海道から沖縄まで全国の選挙で、脱原発を訴える候補者の応援に手弁当で駆け付け、驚かせた。関係者は「あまりに熱心なので、山本太郎氏のように芸能界から干されてしまうのではないかと心配しましたが、木内さんは気にすることはなかった。選対本部にも入ってなんとか候補者を当選させようと必死でした」と語る。候補者を見守る心強い母親のような存在だったという。

 夏の参院選では「――元気が出るテレビ」時代から縁のある山本太郎代表率いるれいわ新選組の街頭演説会で司会も務めた。山本氏は参院選後、本紙に木内氏との出会いについて語っていた。

「『元気が出るテレビ』で共演してから親交がありました。当時は芸能界に入ったばかりで右も左もわからなかった僕に優しく接してくれたのが木内さんでした。選挙戦の街頭演説で司会も買って出てくれて本当にありがたかった」

 木内さんの訃報に山本氏は「一銭の得にもならない、本業を考えればリスクでしかない。そのような活動にも積極的に関わってくださった。自由を愛する本物の表現者。感謝しかありません」とツイッターで追悼した。

 葬儀・告別式は家族で営まれ、後日お別れの会が開かれるという。