タレントの武井壮(50)が27日「X」(旧ツイッター)を更新。長文で五輪を目指さなかった理由をつづった。

 元十種競技の日本チャンピンである武井は「『武井さんが十種競技でオリンピックを目指さなかったのはどうして?』と聞かれるんですが 目指してましたよ だけど期間を限定してただけです」と回答。

 1994年の大学3年時から十種競技を始めた武井は「大学生のうちに出られたら出ようと思っていたのですが、十種を始めた次の年がオリンピックで、僕が日本一になったのはその翌年で、日本一で五輪標準まではあと250点くらいだったけど、もう卒業だったんです。。」と経緯を説明。

 武井は神戸学院大学卒業後に別の大学にスカウトされ、十種競技を続け1997年には優勝し日本チャンピオンとなったが、大学生のうち五輪出場はならなかった。

 それでも「前年からも300点以上ベスト更新してて、まだ伸びる感覚はあり、未練はあったので、続けようかな、と思って陸上だけをやって最低限2000万円もらえる環境を探したんだけど、企業からの給料が800万円のオファーが限界で、諦めました」と金銭的な理由で断念したことを明かした。

 2000万円という数字の根拠は当時MLBの選手だったイチロー氏の年俸もあったといい「当時同い年にはイチロー選手がいて数億円の年俸を得ていてせめて10分の1は稼ごうと努力しましたが、叶いませんでした」とつづった。

 また五輪について当時の武井のイメージは「当時の僕の中では、オリンピックへの道はオリンピックという巨大なビジネスの労働者になることを選択することだと感じていました、だけど、企業からの給料はあっても、団体からの給与は無い無償の労働なんです」とも。

 続けて「オリンピックやアマチュアスポーツの主たる労働者はそれを支える協会や連盟の皆さんとアスリートだけど、アスリートには報酬はありませんアマチュアなので当然ですが。。当時は今のようなナショナルトレーニングセンターも無い時代だったから、環境も選手任せ、その中で名誉や夢を求めてその道を進み、3年後の名声を手にするか、未来の自分のために将来豊かになれる道を今から進むかの二択で、後者を選びました」と現実的な理由から五輪断念したという。

 さらに「自分の活動をしらせるには新聞や雑誌、テレビしか手段が無かった 今の時代ならもっと方法があっただろうな、と感じますが、当時の僕にはそれが限界でした」と広報活動の限界もあったようだ。

 もう一つの理由として俳優を目指していた兄がガンで死去したことをあげた。「彼の遺志をなんとか引き継ぎたい気持ちがあったこと 彼は親のいない二人暮らしの中、学費を自分に使う事を諦めて中卒で鞄持ちをはじめました 僕は幸いにも中高の学費が免除されたので結果お金は掛からず、当時は知る由もなかったけど、兄に支えられていた」と明かし「そのためにいつかタレントになるため、テレビで放送の機会の多いスポーツだったゴルフを、日本一の肩書きを活かして特待生などでスタートできれば、と考え、ダンロップの特待生試験を受験して、無償のアメリカ留学特待生になれたことが大きな理由です」とゴルフをキッカケにタレントを目指したことを明かした。

 この時を振り返り武井は「オリンピックに出て、オリンピアンの仲間と一生絆と思い出を共有できたら素敵だろうな、と今もたまに感じるけど」と本音を吐露しつつも、レポーターやフェンシング教会会長、プロ野球のコーチ、陸上のコーチも経験し「なんだか、山盛りでお得な人生になっている」と振り返った。