グループサウンズブームが去った後の1970年代、ショーケンこと俳優の故萩原健一さん(享年68)は男性が見ても、女性が見ても、子供が見ても「カッコよさ」の象徴のようなカリスマ性に満ちていた。若者が内部に抱える独特の初期衝動、尋常ではないエネルギー、そして人並外れた才覚が全身から発散されていた。
67年にザ・テンプターズのボーカルとして「忘れ得ぬ君」でデビューすると、翌年には「神様お願い!」「エメラルドの伝説」の大ヒットでグループサウンズ(GS)全盛期に時代の寵児となった。
バンドが70年に解散すると翌71年にザ・スパイダースの井上堯之、大野克夫、ザ・タイガースの岸部一徳、沢田研二らとスーパーバンド「PYG」を結成。72年には松竹「約束」で岸恵子と共演し、俳優としての評価を高めた。また後に超人気ドラマとなった日本テレビ系「太陽にほえろ!」の初代新人刑事「マカロニ」役で全国的な人気を得た。
72年12月に音楽活動を停止して俳優活動に専念。73年8月5日付本紙では萩原のロングインタビューが掲載されている。「太陽にほえろ!」、東宝「化石の森」の撮影も終わり「今は開店休業中」という時期だった。記者は「ハイティーンの女の子だけでなく主婦、子供、男性と人気は浸透してきている。ストライプのシャツを第4ボタンまで外し、そこからのぞく胸元がまぶしい。十分に己の肉体に自身を持ち、今を勝ち誇っている若獅子のようだ」と記している。ショーケンのカッコよさに圧倒されているのがよく分かる。
沢田と人気を二分したグループサウンズ時代から沢田はソロ歌手、萩原は俳優の道を選んだ。その選択について聞かれるや「世間ではGSは中途半端だと言われる。だが一つの形を作り上げたことは事実なんだ。GSをやり始めたころは日の目を見れば見るほど辛かった。物事を起こすことは簡単だけど、それを持続させることは大変だと知ったね」と振り返った。
「太陽にほえろ!」を制作した日本テレビの清水欣也プロデューサーはこう証言する。「目鼻立ちや体つきが非常に現代的で、役者として肉体的条件は揃っている。そのうえ意欲的だし〝燃える男〟だ。感覚的には鋭敏。神経質でいつもピリピリしているところがある。頭もいい。あまりにシャープで敏感すぎるので、二枚目スターの枠からはみ出して異色の性格俳優という方向にいく恐れがあるんではないか。役者としてはもう100点満点」と高評価を与えている。くしくもこの予想はズバリ的中することになる。
ショーケンは自らの俳優哲学について「仕事の話はかなりあるけど、好きな作品しか出たくない。やらない仕事のほうが多いな。10本話があっても2本ぐらいしか出ない。イヤなもんはイヤなんだ。今まで出演した作品に駄作はない。できればGSのころのように、今までなかった役者としての形を作れればいいと思っている」と語る。
「化石の森」の篠田正浩監督は「彼がそこにいるだけで現代がある」とまで表している。
「まず冷めて物事を見ることを覚えた。以前はこれじゃなくちゃイヤだと熱くなる方だった。今はもしダメでも、他に何かあるだろうって冷めて考えられるようになったからね」と冷静沈着に語った。
そして翌年から一気に時代が変わる。74年には神代辰巳監督「青春の蹉跌」でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。まさにショーケンにしか演じられない、現代の若者の焦燥感と虚無感を描いた傑作だった。続いて日本テレビ系「傷だらけの天使」が大ヒット。水谷豊とのコンビでコミカルなアウトローを見事に演じた。同様のドラマは日本にはなく、ある意味革命だった。75年には倉本聰脚本の人情ものドラマ日本テレビ系「前略おふくろ様」に主演し、こちらも大ヒット。朴訥な板前役を演じて視聴者を感動させた。涙した人も多いだろう。
歌手としても75年には初のソロ・アルバム「惚れた」をリリースして音楽活動を再開。79年には「大阪で生まれた女」のヒットも飛ばした。まるで生き急ぐように、70年代を駆け抜けたショーケンはその後も名優の地位を確立して、21世紀になっても多くの映画やドラマに出演した。しかし独特の色気と魅力を発揮し、ショーケンが最高に輝いていたのは、やはりこの時期だろう。1970年代という特異な時代に選ばれた男であり「時代に愛された男」だった。(敬称略)















