映画の姉御役がピタリとハマり、その筋の人物から慕われて、あの大スターを“逆ナン”していた!! 昭和の任侠映画「女賭博師」シリーズやNHK朝ドラ「べっぴんさん」出演などで知られるベテラン女優の江波杏子(本名、野平香純=のひら・かすみ)さんが、10月27日に肺気腫(慢性閉塞性肺疾患)の急変により亡くなったことが2日、分かった。76歳。亡くなる5日前まで仕事をこなしていたという江波さん。数々の秘話、仰天エピソードを公開する。

 所属事務所の発表によると、江波さんは先月26日、体調不良を訴え午後2時に東京都内の病院に緊急入院したが、回復することなく、翌27日午後9時6分に息を引き取った。肺気腫を長年患っていたが「日常生活に差し障りなく女優業に励んでおりました」という。

「現に10月22日(月)まで元気に仕事をしておりましたし、また11月以降から来年にかけての仕事もお引き受けすべく、意欲に満ちておりました。あまりに突然の出来事に言葉もありません」とつづっている。

 葬儀は2日に近親者だけで執り行われた。

「密葬後、皆様に報告をしてほしいという故人の遺志に従い、ご連絡が遅れましたご無礼を何卒お許し下さい」と所属事務所が発表した。

 1942年10月15日生まれ、東京出身の江波さん。母は女優の江波和子さんで、芸名の由来にもなっている。

「江波さんが幼いころに和子さんが亡くなりました。お母さんは女優としてまだやり残したことがあったのでしょう。『かすみちゃんが大きくなったら、女優になってお母さんの続きをやってほしい』と言っていたらしい。それが遺言になって、自分も女優を志したのです。江波の芸名の名字はもちろん母から。杏子は室生犀星の小説名から取ったそうです」(芸能プロ関係者)

 その遺志を継ぎ、1959年、「大映」に入社。初主演映画「女の賭場」が大ヒットし、「女賭博師」シリーズが人気を集め、ヒロイン“昇り竜のお銀”役でスターとなった。73年の「津軽じょんがら節」では、訳あって東京から故郷に帰ってきたヒロインを好演し、キネマ旬報主演女優賞を受賞した。

 さまざまな監督たちが出演を熱望した女優の中の女優。当時、その洗練された美貌で「和製オードリー・ヘプバーン」とも呼ばれた。

 ある映画関係者は「映画『女の賭場』で大ブレークした後は、その筋の人からも一目置かれるようになったそうですよ。街を歩いていると、その筋の人物が突然近寄ってきて『姐さん、今日は西成で賭場が開いています』と教えてくれたそうです」。

 過去にはショーケンこと萩原健一と恋愛関係になったこともあるというが、アプローチしたのは江波さんの方。

「ダイナマイトボディーだった江波さんは、雑誌か何かでショーケンと対談したとき、自ら電話番号を渡したそうです。ショーケンもそのボディーに悩殺されて…。その影響でプレーボーイになったとも。江波に調教されたのではないかと言われている」と出版関係者。

 まさに“逆ナン”だ。当時のショーケンといえば、ザ・テンプターズのボーカルとして若い女性から爆発的に支持され、俳優業に転向しても、ジュリーこと沢田研二と人気を二分するほどの大スターだった。8つも年下の人気者を“逆ナン”するとは、江波さんの魔性ぶりがうかがわれる。

 遺作となった映画は、今年4月公開された松坂桃李の主演映画「娼年」だが、実は数年前から健康上の理由から女優引退も考えていたという。

「若いころから愛煙家であったこともあって、肺気腫を患っていた。深刻かどうかは分からなかったのですが、年齢や健康上の理由もあって2~3年前には本気で女優引退を考えていたようです。しかし、特に共演した松坂桃李ら若手俳優たちの演技や熱意に触発され、死ぬまで女優として生きることを選んでいた。そんな矢先に…」(映画配給会社関係者)

 実際、10月22日までNHKのラジオドラマ「FMシアター 罵詈雑言忠臣蔵」の収録の仕事をし、来年の仕事の話もしていた直後の急逝だっただけに惜しまれる。