「橋のない川」(1992年公開)の撮影では美術監督の故内藤昭さんに時代劇の美術について多くのことを教えてもらった。内藤さんでなければ、映画が成立しなかったのではないかとさえ思う。
「日本の風景は64年の東京五輪で大きく変貌し、それ以前は時代劇と考えたほうがいい」と内藤さんはよく語っていた。
「橋のない川」では明治・大正期の農村の暮らしと風景を再現するため、最終的な製作費8億5000万円の4割を美術費にかけた。奈良県に映画の象徴である木の橋を架け、主人公が暮らす集落までの300メートルの舗装を剥がして土の道に変えた。集落のセットは和歌山県の山間部に土地を借り、ほぼ丸ごと一つの農村を作った。
また、東映京都撮影所に牢屋のセットを組み、東京のよみうりランドに当時あった生田撮影所のオープンセットに、大正時代の大阪の街並みと米屋のセットを建てるという、大掛かりな撮影だった。
特に牢屋のセットはこの作品の最大の見せ場だった。監獄の面会室で、小窓を挟んで対面する母子のシーンをワンカットで撮影した。双方を隔てる壁を可動式にし、カメラが180度回り込むことができるように美術セットが組まれた。“切り返し”のカットを一度に撮影するためだ。合成を使わないアナログの仕掛けは、まさに映画美術の面目躍如だった。
農家の納屋のセットでは本来あるはずのない光が天から一筋降り注ぎ、主人公を照らす「レンブラント・ライティング」の手法が使われた。レンブラントの絵画に使われている、光と影の絵画的な技法だ。撮影の日は内藤さんの美術セットを見るために、カメラマンの大御所だった宮川一夫さんも駆け付けた。
1年をかけて完成した映画には冬の麦踏みのシーンから、麦秋の風景、代掻き、田植え、そしてラストシーンとなった稲刈りまで、四季の中で繰り広げられたドラマが収められた。
製作中止になった「侍・イン・メキシコ」で出会った美術監督・内藤さんと、10年を経て時代劇の現場をご一緒することができたことは、私のその後の映画製作にとって大きな自信となった。内藤さんの仕事は後に東陽一監督の監修により「映画美術の情念」という本にまとめられ、リトルモアから出版されている。
「橋のない川」は撮影の翌年1992年3月3日に完成した。水平社創立70周年の日であり、私の38歳の誕生日だった。そして今年、映画完成から30年目、水平社宣言から100周年を迎えた。
※写真はすべて「橋のない川」(東陽一監督作品/1992年/ガレリア・西友)から
☆やまがみ・てつじろう 1954年、熊本県生まれ。86年「シグロ」を設立、代表就任。以来80本以上の劇映画、ドキュメンタリー映画を製作・配給。「絵の中のぼくの村」(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をはじめ、国内外の映画賞を多数受賞。主な作品に石原さとみ映画デビュー作「わたしのグランパ」(2003年)、「老人と海」「ハッシュ!」「松ヶ根乱射事件」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「沖縄 うりずんの雨」「だれかの木琴」「明日をへぐる」など。最新作「親密な他人」が公開中。














