【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】唐十郎とともに2005年花園賞受賞の喜び

2021年11月07日 10時00分

左から唐十郎、真山知子(蜷川夫人)、「第四回花園賞」受賞の蜷川幸雄さん、筆者
左から唐十郎、真山知子(蜷川夫人)、「第四回花園賞」受賞の蜷川幸雄さん、筆者

 先週書いたが、新宿ゴールデン街の「クラクラ」のバイトに歌人の俵万智が入っていた。2002年頃だ。そしていろんな人達が訪れてくれた。当時私の劇団「はみだし劇場」は毎年7月、花園神社境内を借りて野外劇を上演し続けていた。ゴールデン街とはまさに地続きの同じ街の風景の中に、芝居の現場を持てていて幸せだった。

 その花園神社の宮司・片山文彦(2016年没、享年79)とも親しくさせてもらっていた。そんな縁もあり、宮司さんもよくクラクラに立ち寄ってくれた。俵さんとの対談本なども出版している。

「はみだし劇場」が神社境内で野外劇を始めたのが1985年の立松和平戯曲の「南部義民伝」。以降、現在まで36年間続けている。劇団名は「椿組」と変化しつつも…。

 そんな持続の力に対してか、16年目の2005年「第三回花園賞」をいただいた。これは花園神社が独自に創設し「新宿文化発展に寄与した方を顕彰する」と贈っている賞だ。「唐組」の唐十郎に続いて私に贈られた。正直「賞」と名のつくものは初めてで嬉しかった。

 今までの表彰といえば小学校の時の「皆勤賞」くらいか(笑)。私というか、劇団仲間全員にいただいたものと皆で表彰式に出かけた。唐率いる「状況劇場」の赤テントに強烈な刺激を受け、野外劇に取り組んできた身としては、一つ階段を上ったような気分だった。

 2007年には第四回花園賞が蜷川幸雄に贈られ、歴代の受賞者も招待され、私も唐十郎と共に参加。写真に収まっている。

 蜷川とは彼が昔所属していた「現代人劇場」の旗揚げから手伝っていて、久しぶりの再会だった。清水邦夫、石橋蓮司、緑魔子らと旗揚げし、1969年の「真情あふるる軽薄さ」が有名だが、その前の渋谷で公演した「明日そこに花を挿そうよ」に照明機材を「変身」(私の当時の所属劇団)から運んだのを鮮明に覚えている。そんな蜷川さんも2016年に亡くなってしまった。享年80。

 受賞の話で自慢するわけではないが、2015年椿組花園神社野外劇30周年の節目の年には「紀伊國屋演劇賞・特別賞」をいただいた。これは紀伊國屋演劇賞50周年を記念しての特別枠で「舞台監督賞」としてだ。

 ま、長年誰もやっていない「野外劇」を演じ続け「野外劇の灯を消すな!」と叫び続けてきた功労賞のようなものだと受け止め、ますます老体に鞭打っている。勿論、ゴールデン街の灯も消しませんぞ!!(敬称略)

 ◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組秋公演「戦争童話集」(東京・新宿「雑遊」)を11月7日まで上演中。

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