歌手の山本リンダ(67)が17日、本紙に“戦友”で16日に死去した歌手・西城秀樹さんの思い出を語った。山本は「秀樹さんがデビューの時、私は『どうにもとまらない』がヒットしていた時で、よく歌番組でご一緒していました。週に3、4回は会っていたと思います。さっぱりとした明るい方でした」と出会いを振り返る。

 秀樹さんに対しては「同時代を生き抜いた戦友」との思いが強いという。それは歌い手にとって大事な「ステージでのパフォーマンス」への気持ちが同じだったからだ。

 1972年にリリースした山本のヒット曲「どうにもとまらない」はセクシーな大人の女性をイメージした曲で、衣装も「へそ出しルック」という時代を先駆けたものだった。「批判もいっぱいありました」と山本。「新御三家」と呼ばれ、大人気だった秀樹さんも派手なステージングが魅力の一つだった。「秀樹さんとNHKのラジオ番組でご一緒した時があったんです。一度倒れられた後だったでしょうか。その時、当時の話になって、私が『どうにもとまらない』にまつわるつらい経験をお話したら、秀樹さんも『僕も当時は宙つりなんてやるもんじゃないと批判されましたよ』と、お話しされたんです」

 山本は「同じ思いだったんだな、と。私も一番に考えたのは、お客様にどうやって歌の魅力を届けるか。批判されても、ステージのことを一番に考えていた。本当に素晴らしい歌い手でした」と声を震わせた。

 最後に「秀樹さんはご病気された後、いつもペットボトルの水を持ち歩くようになりました。その当時、私の周りには誰もそういうことをする人はいませんでした。『リンダさん、水は飲んだ方がいいよ』と。それから私もまねさせていただくようになりました。また早く、生まれ変わって、歌い手として活躍してほしい。私も自分の歌が続く限り、頑張ります」と秀樹さんに誓った。