【今週の秘蔵フォト】「津軽海峡・冬景色」、「天城越え」、「ウイスキーが、お好きでしょ」などの大ヒット曲を誇り、NHK紅白歌合戦出場は実に45回を数える“日本演歌界の女王”が石川さゆりだ。着物姿で堂々と高い歌唱力を披露する姿は多くの日本人の胸に突き刺さっているが、実は石川には演歌歌手転向以前、アイドルだった時期があった。
熊本・飽託郡(現熊本市)出身で1972年8月、中学3年の夏休みにフジテレビ系「リビング4」のちびっ子歌謡大会で優勝。ホリプロにスカウトされて芸能界に入り、同年10月にフジ系のドラマ「光る海」に出演。73年3月に「かくれんぼ」でデビューした。当時は完全にアイドル志向。1974年8月7日付本紙には5枚目のシングル「泣き虫列車」をリリースしたばかりの石川の貴重なインタビューが掲載されている。
当時16歳。清楚なルックスはまさにアイドルだった。実家は八百屋でよく店の手伝いをしたが失敗ばかりだったという。自転車の荷台に積んだのが卵ということを忘れてデコボコ道を猛スピードで走り、田んぼの中に横転するなど、かなりのおてんば娘だったようだ。
「今でも時々、失敗するの。この間もお友達とスパゲティを食べようと思ったら、ナポリタンの味がとても薄くて白っぽかったので、そばにあったタバスコをケチャップと思って全部振りかけちゃった。忘れ物もよくするの。喫茶店に傘を忘れてタクシーで取りに行って、それをまた降りるとき忘れちゃった。きっと縁がなかったのよ」と屈託のない笑顔を見せた。
結局、アイドル路線では成功せず、意を決して76年に二葉百合子の門を叩き、民謡や日舞なども習い、演歌の道を志す。その結果、76年のアルバムに収録された「津軽海峡・冬景色」が77年にミリオンセラーを記録。同年の日本レコード大賞歌唱賞を獲得。念願の紅白歌合戦にも初出場を果たし、石川は押しも押されもせぬ演歌界の新星となった。その後の活躍は改めて振り返るまでもないだろう。
石川はインタビュー中でこう語っている。「とにかく歌が好きで好きでいつも口ずさんでいたいです」。まだあどけない少女時代から貫いたその姿勢が、後に大輪の花を咲かせることになる。













