【今週の秘蔵フォト】1970年代のフォークブーム全盛期に、異彩を放つ女性シンガーとして独特の存在感を発揮していたのが山崎ハコだ。
75年にアルバム「飛・び・ま・す」でデビュー。76年「綱渡り」、77年「藍色の詩」と立て続けにアルバムをリリース。独特の憂うつな雰囲気で女性特有の情念や怨念、複雑な感情を弾き語りのスタイルで切々と歌い上げ、熱狂的なファンを獲得した。
77年4月19日付本紙には「藍色の詩」発売を控えた当時19歳の山崎のインタビューが掲載されている。歌のイメージとは裏腹に153センチ、38キロというあまりにか細い美少女だった。
当時は作家の五木寛之氏が「どうしようもなく日本人的。演歌と通じる心情」と賛辞を寄せていたが、本人は「私の歌がどうのこうの言われてもよく分かりません。作ったんじゃなくて、できた歌ばかりなので、私にとっては日記みたいなものだから。文法的にいったら歌詞におかしいところもずいぶんあるし、自分で歌うためのもので他人に聴かせるものじゃないし…。自分ではいい歌だなんて少しも思わない。部屋で1人きりで歌っているのが一番いいんだけど」と動じていない。ちなみに81年に「青春の門」が映画化された際は、音楽を担当している。
当時は「ステレオみたいなものとギターと布団だけ」の家賃1万4000円の四畳半のアパートで1人暮らし。日がな一日何もせず部屋にいるというのが趣味だったという。
「人混みが苦手で、運動神経が鈍くって、人通りもうまく歩けない。あっちこっちでぶつかって、そのたびに謝って疲れちゃうんです」と語る。
「自分では特に無口だと思わないけど、別に話すことがないだけ。風変わりとは言われるけど、自分では普通だと思うんだけど」とようやく最後で愛らしい笑顔を見せた。
後日、明らかになるが怨念めいたキャラクターは会社側の戦略で、本来は明るい性格だったという。それを証明するように79年から「オールナイトニッポン」のDJを務め、大人気を呼んだ。
その後も音楽活動を順調に続けるも、90年代末には事務所が倒産。そんなトラブルにもめげず活動を続け、2020年にはデビュー45周年を迎えた。同年には最愛の夫を亡くすも、悲しみを乗り越えて今でも歌い続ける。












