新田真剣佑・眞栄田郷敦兄弟の父、千葉真一さんが今年8月、新型コロナウイルスによる肺炎で他界した。享年82。アクションスターとして海外でも活躍した千葉さんの、郷土愛あふれる生前秘話が明らかになった。
本名は前田禎穂(さだほ)。芸名の名付け親は、千葉さんが「東映ニューフェイス」として東映入りした1959年当時、東京撮影所の所長だった山崎真一郎さんだ。千葉から来たから名字は「千葉」、下の名前は山崎さんの下の名前から二文字取って「真一」に。
千葉市は一昨年末、「人生100年時代」や健康づくりの重要性について広報・啓発活動を行うため、千葉さんを「千葉市健康大使」に任命した。地元記者によると、千葉さんは当時「千葉市のためにも、100歳になってやらないとね」と豪語していたという。
「4歳で福岡から君津市に越してきて、高校は県立木更津第一(現・木更津高校)。亡くなった君津中央病院は、名前は君津だけど木更津にあり、セカンドハウスのマンションも木更津に借りていた。君津より木更津主体だったみたい」とは地元民。
木更津かいわいの飲食店に魚を卸している地元後援者は以前、こんなエピソードを話していた。
「千葉さんは油絵に凝っていて、房総で行きつけの飲み屋に油絵を置いていったことがある。『金がないときにも飲ませてもらって、本当に感謝してる。今は値段つかないけど、俺が死んだら少しは価値が出るから』と言われ、長年千葉さんファンだった店主は『家宝にする』とうれし泣きしていた」
海外で長く活躍した千葉さんは、酔っ払うと英語になることがあり、そんなときは「あ、ゴメン。君津は英語圏だから」とジョークを飛ばすのがお約束だったそう。
「機嫌がいいと『さぁ来なさい!』とかかってこさせて殺陣を一緒にやってくれたり、サービス精神旺盛。とにかく話が面白い。演技の話もアツくて『動きのない役は動ける役者にしかできない』とか、たまたま居合わせた一般客にも話していた。混んでる店に入り、気を遣って帰ろうとする客がいると『帰るの? 一緒に飲まない?』と声を掛ける気配りも」(地元後援者)
その原点は、一時期付き人をしていた故・高倉健さんだった。18年3月、君津の隣、富津市で開いたトークショーで、千葉さんはこう話している。
「東京オリンピック(の招致プレゼン)で『お・も・て・な・し」って言ってたけど、おもてなしの心は高倉健さんだよ。彼は若いころから自分より若い人に声を掛けるときも気配りができていて(中略)『腹減ってないか?』と聞かずに『今ラーメン食べに行くけど、行くか?』と誘うんです。で、ラーメン屋では健さんは食べてなくて『俺は腹減ってないから、俺の分も食えよ』って。ああいう人を日本のサムライって言うんだよね。それをマネしようって…」
そんな千葉さんだが、酒席で先に逝った松方弘樹さんや渡瀬恒彦さん、元妻・野際陽子さんの話をするときは、本当に悲しそうな顔だったという。












