何度も書いているが、酒場は人と人を繋ぐ交差点…。酒を介して様々な人と人が繋がり新しい物語りが産み出されて行く。

 私と作家・中上健次もそうした酒場の縁で仲良くなり、彼にとって初の演劇脚本創作という新たなドラマが生まれていったのだ。1978年「週刊プレイボーイ」の連載記事「RUSH」の取材で初めて会う。冒険小説家、戸井十月(2013年没)の紹介で新宿ゴールデン街の「クラクラ」(まだ私ではなく新子の経営時代)で落ち合った。当時、中上は戦後生まれ初の芥川賞作家として売れっ子となりつつあった。

 私は街頭芝居集団「はみだし劇場」を主宰してシルクロード放浪劇や多摩川河原の野外劇などを上演し、少しは話題となりつつあった。その駆け出しのアングラ役者を取材して記事にまとめようという企画だった。結局、酒さ! 呑むにつれ、語るにつれ、同い年と云う事もあり、盛り上がり、はしご酒…。

 それから何度もゴールデン街界隈で呑み合う仲に。「芝居の本を書かないか?」「面白そうだな!」と意気投合。が、当時は売れっ子の芥川賞作家、出版社が許すはずもなく、東京新聞の連載小説「鳳仙花」も始まり、なかなか脚本主筆とまでは進まなかった。

「締切をつくる事で書く」という作家の性を利用し雑誌「新劇」掲載という形で書き始めてもらう。が、遅々として進まず、結局、その号は20日遅れの発売。担当編集者は白紙発売も覚悟していたとか…。

 でも、完成した脚本は話題となり、浅草・稲村劇場初演(1979年)。その後、山形月山・注連寺野外劇。東北沢での野外劇。熊野本宮大社跡地・大斎原野外劇。横浜本牧野外劇と、大きな物語りを紡いでいく。

 1992年の健次没(享年46)後も作品は生き続け、2013年、花園神社野外劇として蘇り、その夏信州の私の故郷、南木曽町・桃介橋河川公園での壮大な野外劇へと繋がった。

「かなかぬち」主演・山本亨、石田えり。総勢50人余の合宿で故郷の人々のお世話になった。感謝。少しは恩返しも出来たかも…。(敬称略)

 ◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。