【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(59)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。実はエディにあの超人気GSグループへの移籍話があった!? 世に知られていない秘話を初公開!

 ユカイ 3枚目のシングル「長い髪の少女」(1968年4月)がガンと売れて、どんな感じでした?

 エディ 最初は売れてんのかなんだか、わからなかったね。ただ出演していたジャズ喫茶のお客が増え、待遇が良くなって、歩いてたら女子高生とかワーッと来て、街を歩けなくなった。「これが売れるってことか」と初めてわかったよ(笑い)。その前はここに女の子が来たら「ガキや女が来るところじゃねえ。帰れよ」だったのが、売れてからは「俺」が「僕」になって、「大丈夫?」ってさ(笑い)。キャラが変わっちゃった。

 ユカイ 人のこと言えないけど、面白いですね(笑い)。GSブームの渦中にいてどんな気持ちでしたか?

 エディ 嫌でしょうがなかった。売れた時はすごくうれしかったけど、そのうち仕事が音楽よりもアイドルみたいなことばかりになってさ。ジャズ喫茶回り、テレビ出演、雑誌や新聞の撮影と取材…。寝る時間もなかった。

 ユカイ 加部さんが来ないこともあったんですよね。

 エディ ルイズルイスがルーズルイスになっちゃった(笑い)。

 ユカイ そういえばキャシーさんと対談した時、ここでカップスが、米兵と恋人日本人女性のためにプロコル・ハルムの「青い影」(1967年)をずっと演奏していたって。

 エディ 覚えてないなぁ。オーバーに話してるんじゃない? でもそういうことにしとこう(笑い)。そういえば、おもしろい話があってさ。いままで取材で言ったことがない話。

 ユカイ なんですか?

 エディ 69年だったな。突然、タイガースのマネジャーの中井國二さんから呼び出されてさ。渡辺プロの箱根の別荘みたいなとこに、こっそり来いって。

 ユカイ「こっそり来い」って、何の話だったんですか?

 エディ 行ったら、ジュリーや岸部がいるわけ。「どうしたの?」って聞いたら、「(加橋)かつみが抜けちゃったんだよ。タイガース入らない?」って。後任として候補に挙がってると言われてさ。

 ユカイ えええ! すごい話じゃないですか!

 ――カップスからタイガースに移籍なんて、当時のスポーツ紙全紙1面レベルの大ネタです!

 ユカイ 全く聞いたことがないし、世に出てない情報です。ずっと言わずにきたんですか?

 エディ カップスのメンバーには言ったけど、他には言ってない。知ってるヤツはごく一部。

 ――トッポこと加橋かつみさんが脱退したのは69年3月です。読者の方に念のため説明しますと、ザ・タイガースはジュリーこと沢田研二さん、サリーこと岸部一徳(当時は修三)さんがいたGSの大人気グループです

 ユカイ カップスのメンバーの反応は?

 エディ 怒るヤツはいるし、大騒ぎになってさ。平尾に「いくんじゃないだろうな?」と言われて「わからない」と答えたら、「断るだろ、絶対!」って。提示された金額が良かったから、金に釣られそうになってたんだけど(笑い)、しばらくしたら中井さんから電話があって、「悪いけどサリーの弟のシローを入れることになった」って。

 ユカイ 岸部シローさん加入直前に、そんなことがあったんですか!? これは日本の音楽史にしっかり残すべき話です。ここで話してもらわなかったら、表に出ることも、記録に残ることも、永遠になかったかもしれない。でもエディさん、結局翌4月にブッチさん(ケネス伊東)と脱退しちゃったんですよね。 

 ☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

 ☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。