【いろもの伝】いとうあさこが「厳しい夏合宿」でつかんだ何か

2019年10月01日 10時00分

ブレークしはじめた06年に本紙が取材したときの写真。既に35歳になっていた

 最初はお嬢育ちな部分がチラついていた、いとうあさこ。今振り返ると、あれがターニングポイントやったのかな、と思い出すことがあります。

 ひとつは同じマセキ芸能所属で同期ぐらいだった「まなつまふゆ」の解散です。1990年代後半、まなつまふゆは「ボキャブラ天国」に出演し、そこそこ名を上げましたが、辞めてしまいました。周りの女芸人が辞めていくことに、いとうは「寂しいです。でも私はこれしかないんです。何があっても辞めません」と言い切りました。芸人として生きる気持ちを固めていったんでしょうね。

 そしてもうひとつは「進ぬ!電波少年」の「15少女漂流記」企画(2001年)で無人島へ行ったことです。帰ってきてから「いつまで芸人続けるんや」と聞いたら、いとうは「やり続けたら絶対に“ある”と思うんです」と目を輝かせながら答えました。

 しんどい企画やったんでしょうけど、その間、テレビに出ていることを前提に振る舞い続けたことで、いとうは何かをつかんだんやと思います。例えるなら厳しい夏合宿です。帰ってきてからネタを見たら、しゃべる力が上がってて、実は勝手に感動してたんですよ。

「ネギねこ調査隊」はその後解散し、いとうがブレークするまでにはさらに数年かかりましたが、いとうを見ていると「下積みが長い分のアドバンテージがいっぱいある」と思います。もちろん売れないと下積みには意味がないんですが、長い下積みで強固な土台を築いた芸人は、売れてもすぐには消えません。一方で、男も女も芸人は辞め時が難しいとも思います。いとうは売れたから良かった。ただ続ければいいというものでもないんです。

☆りっきー=1958年9月8日生まれ。京都府出身。本名・岡博之。81年に「ブッチャーブラザーズ」結成。サンミュージック初の所属芸人に。プロダクション人力舎に移籍後、92年に開校した東京初のお笑い専門学校「スクールJCA」講師を務めた。現在サンミュージック常務取締役。