【ダイアモンド・ユカイの昭和ロックを語る時が来た】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(57)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠(71)との第2回。鮎川はビートルズ&ローリング・ストーンズをリアルタイムでどう見ていた? (隔週連載)

 ユカイ:板付空港(現在の福岡空港)から流れるFEN(在日米軍向け放送)で、鮎川さんがビートルズを聴いたのが1964年2月ごろ。日本版1stアルバム「ビートルズ!」の発売が同年4月だから、それよりも前ですよ! はやる前にキャッチしてたんですね。

 鮎川:FENのぶん、早かったんやね。高校入ったら音楽好きが多くて、「ビートルズ? 知っとるくさ」があいさつ代わりやったよ。

 ユカイ:世界的なバンドになる過程をリアルタイムで経験した、ビートルズ第一世代ですね。

 鮎川:1stアルバムが日本で売られたところから体験したからね。1stをすぐ友達が買って、聴いたら「抱きしめたい」から始まって、A面の最後が「ドント・バザー・ミー」。えらいかっこいい。後々検証したら、英国の1stとは収録曲が違う。日本独自の選曲やったんやね。

 ユカイ:日本の1stは、米キャピトルから発売した「ミート・ザ・ビートルズ」のジャケットと曲を使いながら、ディレクターの高嶋弘之さん、高嶋ちさ子さんのお父さんが好きに曲を選んで作ったんですよね。プレミアムついてますよ。

 鮎川:そのおかげで、俺たちは最初から最高のベストセレクションを聴けたんよ。ある意味、英国や米国の子供たちより、ビートルズのいいところが濃縮されたものを初めに聴いたんやね。

 ユカイ:各国編集版は86年に廃盤になっちゃいましたね。ローリング・ストーンズも初期は日本や米国編集版がありました。鮎川さんはストーンズ展のアンバサダーを務めてましたが、聴き始めたのは?

 鮎川:高校に入って、ビートルズの1stを聴いた何か月か後やね。FENでストーンズがかかるようになって、「ノット・フェイド・アウェイ」やら聴くうちに、俺はこっちや! ストーンズ最高ちなってね。レイ・チャールズやら聴いてた俺が好きな音をストーンズが全部やってくれた。若くて向こう見ずな感じもすごく好きやった。

 ユカイ:最初に買ったアルバムは?

 鮎川:FENで聴いてから半年はたっとったかな。友達が当時はやった「テル・ミー」のシングル持っとって、B面の「かわいいキャロル」を聴いたら、これや! このギターや! ストーンズ全部聴きたいちなって、すぐ友達と3人でレコード屋に買いに行ったんよ。「いくら持っとう?」ちお金出し合ったら1500円。アルバム1枚分やね。その時は2枚目まで出とった。

 ユカイ:「ザ・ローリング・ストーンズ第2集」ですね。日本版発売は65年2月です。

 鮎川:1枚しか買えんから、店員さんにお願いして全曲聴かせてもらったんよ。2枚目は胸騒ぎするほどかっこ良かったけど、買うたのは1枚目やった。

 ユカイ:ストーンズが世界的にブレークしたのは、米国で65年6月に発売されたシングル「サティスファクション」のヒットからです。鮎川さんはこっちもその前からキャッチしていた。当時の日本の音楽好きにFENが与えた影響は大きいですね。鮎川さん世代のロックミュージシャンとFENの関係を調べたら、面白い結果が出そうだね。

☆あゆかわ・まこと=1948年5月2日生まれ。福岡県出身。九州大学在学中の70年からブルースバンド「サンハウス」で活躍。78年に妻シーナと「シーナ&ロケッツ」結成。米国デビューも果たし、国内外で36枚のアルバムを発表。鮎川はYMOのアルバムにギターで参加したほか、CM、映画にも出演。2015年にシーナ死去後もバンドは継続。娘のLUCYがボーカルを務めることも。今年はバンド結成41年と鮎川誠の71歳を記念した「ROCK OF AGESツアー」を全国で開催。DVD「SHEENA’s YA―ON」が発売中。

☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。最新ソロアルバム「The Best Respect Respect In Peace…」が発売中。