【昭和ロックを語る時が来た】シーナ&ロケッツ鮎川誠の目から見た日本にロックが根付く過程とは?

2019年08月09日 11時01分

鮎川誠(左)とダイアモンド・ユカイ

【ダイアモンド・ユカイの昭和ロックを語る時が来た】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド・ユカイ(57)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。今回からは「シーナ&ロケッツ」のギタリスト、鮎川誠(71)が登場。日本のロック草創期から活躍する鮎川が語るロック・ヒストリーとは? 

ユカイ:この連載、前回はミッキー・カーチスさんに登場してもらったんですよ。

鮎川:ミッキーさんには「ピンナップ・ベイビー・ブルース」(1981年)のプロデュースをやってもらったんよ。仲いいの?

ユカイ:いろいろとお世話になってまして。落語を教えてもらったり。

鮎川:よくツイッター見よったけど、しばらく会ってないな。レッド・ウォーリアーズはどう?

ユカイ:ここ3年ぐらい3人で再結成してライブやってます。ところでこの連載では、日本のロックが確立されていく過程を、当事者に語ってもらいながら記録しています。鮎川さんの“ロック史”を聞かせてください。

鮎川:みんな自分のロックがあるけんね。僕も自分のロックがあるし、ビートルズとか夢中になった。

ユカイ:最初はビートルズですか?

鮎川:小学校の時から音楽が好きやったけど、最初に心が動かされたのは、ラジオでレイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」を聴いた時やね。あとリトル・リチャードの「ジェニ・ジェニ」やら。だけどたまたまやったのか、二度とラジオでは聴かんやった。あのころ一番すごかったのはエルビス・プレスリーやね。1950年代の終わりから60年代の初めは、ロックに夢中になりよったよ。

ユカイ:鮎川さん、まだ中学入るかどうかぐらいの時ですね。当時の日本は?

鮎川:ロカビリー三人男が人気やった。写真を見たことはあったけど、それ以上のことは情報がないからわからんやった。

ユカイ:洋楽情報はどうやって入手しましたか?

鮎川:ラジオも聴いてたけど、当時はコニー・フランシスやら、はやるとすぐ日本語の歌が出たんよ。伊東ゆかりさんの「ヴァケイション」(62年)や中尾ミエさんの「可愛いベイビー」(同)やな。それで洋楽の雰囲気は感じとった。

ユカイ:日本語カバーはどう思ってましたか?

鮎川:好きやったよ。おれ音楽好きやったから。三橋美智也も好きやったし、石原裕次郎は母ちゃんにSP盤を買ってもらったんよ。親父がアメリカの軍人で、手巻きのポータブル蓄音機が家にあってね。

ユカイ:ラジオで洋楽はかかってました?

鮎川:好きな曲はかからんやったけど、中学3年生の時やね。受験勉強しながらFENを聴いてたんよ。当時は板付空港、今の福岡空港が米軍と共用やったから、久留米におっても「FENイタヅケ」って聞こえてきて、週末の午後3時ぐらいからヒットチャートものがかかっとった。それで64年2月にビートルズが「エド・サリバンショー」に初出演したっちゅうんで、次から次へとビートルズがかかっとって、それで勉強もはかどって。

ユカイ:はかどったんですか!?

鮎川:ただ、これあちこちで言うた話やけど、友達と「『ビートゥ』っちゅうのがたくさんかかっとったけど、あれ何て言いおるん?」って、最初はビートルズってわからんやった。中学の終わりぐらいに、友達の弁当包んでた新聞に「米国で人気のビートルズ」ちゅう記事があって、あ、これかって(笑い)。

ユカイ:江戸時代は「カステラ」を聞こえた音で「カスティーラ」と呼んだように、「ビートルズ」をFENから聞こえてくる「ビートゥ」って最初は呼んでいたんですね。そっちの方が正しい発音だったりしてね(笑い)。当時のリアルな音楽事情ですね。


☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズでデビュー。89年に解散後、数度再結成。

☆あゆかわ・まこと=1948年5月2日生まれ。福岡県出身。九州大学在学中の70年からブルースバンド「サンハウス」で活躍。78年に妻シーナと「シーナ&ロケッツ」結成。米国デビューも果たし、国内外で36枚のアルバムを発表。2015年にシーナ死去後もバンドは継続。娘のLUCYがボーカルを務めることも。今年はシーナ&ロケッツ結成41年と鮎川誠の71歳を記念した「ROCK OF AGESツアー」を全国で開催。DVD「SHEENA's YA―ON」が発売中。