演歌歌手の吉幾三が1日放送のBS11「鶴瓶のええ歌やなぁ」(毎週木曜、夜8時)に出演し、吉幾三の名前を世間に知らしめた「俺ら東京さ行ぐだ」をヒットさせた時の苦労話を語った。
「雪國」「酒よ」などの大ヒット曲で知られる吉。もともとは1973年に「山岡英二」の芸名でアイドル歌手としてデビューしていた。「郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹、おれもアイドルだったんや。あの3人にみんなつぶされた」と当時を振り返り爆笑させた。
その後、1977年に吉幾三の名前で再デビューを果たし、そのときのシングル「俺はぜったい!プレスリー」がヒット。ただ、名前を変え、顔を出さない覆面歌手だったため、吉は自分の父親から「誰だこれ? お前知ってるか? お前も歌手の端くれなら、地元の歌手知ってるだろ。吉幾三って何者だ!」と言われたという。さらにコミックソングだったこともあって父親から「バカじゃねえかコイツ。親の顔が見てえ」といわれたそうだが、吉は「お前だよ」と突っ込んでいた。
このシングルのヒットが大御所・千昌夫の目に留まり、「千さんが吉幾三って何者だ、会ってみたい」と言われたという。その時の出会いから、千のもとへ移籍し、吉は「俺ら東京さ行ぐだ」をリリースする。“テレビもねえ、テレビも無エ ラジオも無ェ”という歌詞がウケて、大ヒットしたが、吉は「あれは本当に苦情の電話が多かった、地元から。『生まれたところをバカにすんな!』って」と振り返る。
この楽曲については吉が幼少期のことを歌詞にしたというのだが、「おれが電話に出てるんだよ。それで『吉幾三だせ!』って。テレビもねぇ、ラジオもねぇってどういう事なんだ! おれは青森県から電話しているんだ」と地元からの大クレームに直接、電話に出ることもあったという。「マネジャーが2人電話持ってて『はい、申し訳ございません、本人に伝えておきます』って。俺も電話を持って。仕事の電話じゃない。苦情の電話3本鳴りっぱなし」と苦情の電話の嵐だったという。
この大ヒットの2年後に「雪國」をリリースする。「千さんと、すごいケンカしたのよ。コミックソングの後だから」と振り返るが、反対を押し切ってリリース。この曲が大ヒットとなり紅白にも初出場を果たした。













