落語家・三遊亭円楽(本名會泰通=あい・やすみち)さんが9月30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。葬儀は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。円楽さんは日本テレビ系のお笑い番組「笑点」に45年にわたって出演したことで知られる。〝腹黒キャラ〟とは打って変わって、新規メンバーには馴染めるようによりも優しく接していたという。

 円楽さんは2018年に初期の肺がんを公表。19年には脳腫瘍の診断を受けて一時入院し、今年1月に脳梗塞で入院した。同月30日が最後の「笑点」大喜利出演となった。8月に東京・国立演芸場で高座に復帰し、入院中のエピソードを紹介しながら古典落語を一席演じていた。

「笑点」復帰も間近と言われていた。「復帰を大々的に祝う番組を作ろうと準備していた。だからこそ亡くなったことをスタッフは驚き、悲しんでいる」(制作会社関係者)

 円楽さんは青山学院大学在学中の1970年、先代の五代目円楽さんに入門。当初は三遊亭楽太郎として活動した。在学中から先代の円楽さんのカバン持ちを務め、落語家としては珍しく師匠からスカウトされての入門だったという。

 入門前から才能を認められ、将来を嘱望されていた円楽さんは77年、27歳にして「笑点」の大喜利メンバーに選ばれ、それから45年間にわたって同番組に出演。20代から売れっ子となり、周囲からは順風満帆に見える円楽さんだったが、本人には苦しい思いもあったという。

「83年から先代の円楽さんが『笑点』の司会を務めたが、自分の弟子ということもあってメチャクチャ厳しかった。本人は『いつも怒られていた』と言っていた。毎週、『楽太郎はダメ! また来週』と言って番組が終わっていたそうだから」(お笑い関係者)

 ただ若くして「笑点」メンバーになって苦労したせいか、新しいメンバーには非常に優しかったという。

「2004年に林家たい平が新メンバーになった時には、当時は楽太郎だった円楽さんから『メールアドレス教えて』と言って連絡先を交換したとか。06年にメンバーになった春風亭昇太も同じようにアドレスを交換したそうです。もっとも他のメンバーは円楽さんより年上で、メールの使い方がよく分かってなかったみたいですが」(同)

 ただ芸に対しては後輩にも厳しかった。16年にメンバーになりながら昨年12月で降板した林家三平については「収録が終わるたびに真剣にアドバイスしたけど、聞く耳を持たなかった」と話したこともある。

 最近の円楽さんで思い出されるのは、スキャンダルへの〝神対応〟だ。16年6月に40代美女と東京・錦糸町のラブホテルに入るところを写真誌にキャッチされたが、円楽さんはこの写真誌の発売日に記者会見を開き、事実を認めて謝罪した。

 そのうえ会見で「騒動とかけまして東京湾を出航した船と解く。その心は、航海(後悔)の真っ最中です」という謎かけを披露し、報道陣を爆笑させた。もう軽妙なトークが聞けないのは残念だ。