歌手で俳優の西郷輝彦(本名=今川盛揮)さんが20日に都内の病院で前立腺がんのため75歳で亡くなった。所属事務所のサンミュージックが21日に発表した。遺族の意向により葬儀は近親者のみで執り行われる。「星のフラメンコ」など数々のヒット曲を飛ばし、橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれ、人気を博した。俳優としても活躍した昭和のスター・西郷さんの秘話を公開する――。
歌手を目指していた西郷さんは15歳で鹿児島の実家を飛び出し、上京。浅草のジャズ喫茶で歌っているところをレコード会社にスカウトされた。
「もともとお兄さんの影響で、米国のロックやジャズにのめり込んでいた。ところが当時は舟木一夫に勢いがあり、事務所は歌謡曲路線をプッシュ。西郷さんは不満だったらしいですが、『売れたら、ロック歌っていいから』と言われ、渋々受け入れたそうです」(芸能プロ関係者)
1964年に「君だけを」でデビューすると60万枚を売り上げる大ヒット。「十七才のこの胸に」もヒットし、両曲で日本レコード大賞新人賞を受賞。浅草国際劇場で単独コンサートをやったところファンがあふれるほど集まった。同年には「十七才のこの胸に」で映画デビューを果たした。
66年には西郷さんの代表曲ともいえる「星のフラメンコ」が大ヒット。橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」と呼ばれ人気を博した。
晩年のインタビューで「橋さんがデビューするのを中学生として見ていて、何年か後にひとくくりにしてもらったわけでラッキーだった。3人の個性、将来の夢も違うのでライバル意識も全然なかった」と語っている。その後、御三家ブームが終わり、グループサウンズブームになると落ち込んだ時期もあったという。
プライベートでは72年に歌手の辺見マリと結婚して2児をもうけたが、81年に離婚。夫婦生活は続かなかったが、長女でタレントの辺見えみりとは居酒屋でサシ飲みするほど仲が良かった。
若くしてスターダムに駆け上がりながら公私で苦労を経験したことで、役者としての〝目〟が培われていった。劇作家の花登筐(はなと・こばこ)さんに見いだされて主演したテレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」を好演。また、時代劇シリーズ「江戸を斬る」がヒットするなど俳優としても存在感を示した。
87年にはNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」に出演。この時に俳優の勝新太郎さんから金言を授かったという。
「政宗の側近・片倉小十郎を演じた時に勝さんが『お前、演技に悩んでいるだろう』とズバリ見抜いたらしい。『いいんだよ、そのままで』とサラリとアドバイスをしてくれて、余計な肩の力が抜けたそうです」(テレビ関係者)。
主演の渡辺謙を支えた名脇役ぶりは、主役とはまた違う人間の深みを感じさせた。
90年に、19歳年下の一般女性と再婚。「ある議員の応援に行った時に、今の奥さんと知り合ったとか。ただ年齢差が大きかったせいで、当時マスコミからはバッシングされたといいます。ただ、義理の両親は理解してくれていて救われたそうです。歌がうまかった義理のお父さんの還暦祝いでは、コンサートを開いてあげたほどでした」とは芸能関係者。再婚後、女優の今川宇宙ら三児に恵まれた。
しかし、2011年に前立腺がんと診断され、全摘出手術を受けたが17年に再発。21年にはオーストラリアに渡り、がんの先端治療を受けていた。
訃報を受けた橋は「寂しいです。明るくて、九州男児らしく言うことをちゃんと言うタイプだった。元気な時にもっと会って話をしてかった」と話した。舟木はショックでコメントを出せないでいるという。












