全力を出し切った――。2016年リオデジャネイロ五輪個人代表の皆川夏穂さん(24=イオン)は、福岡で行われた21年世界選手権を最後に現役から退いた。17年世界選手権種目別フープで銅メダルに輝き、個人日本勢で42年ぶりとなる表彰台に立つなど、長年新体操界を引っ張ったフェアリーがインタビューに応じ、前編では新体操に全てをささげた約20年間を回想。紆余曲折を経て挑んだ現役ラスト演技は〝初めての感覚〟を覚えたという。


【皆川夏穂さんインタビュー・前編】

 ――約20年間の現役生活はどんな思いで取り組んできたか

 皆川さん(以下皆川) 新体操は自分にとって人生の全てでしたし、本当に宝物のような存在でした。やっぱり一番は五輪に出たいという気持ちがずっと強かったので、一つのことに打ち込むことができた理由かなと思います。たくさんの方々のご支援やサポートがあったおかげで今の自分があると思います。

 ――最後まで頑張れた理由は

 皆川 世界でもっと強くなりたいという強い思いがずっと原動力になっていましたし、家族や約8年間指導していただいたナディア(ホロドコバ)先生や日本の新体操関係者のみなさんの支えなど、周りの方々の応援も原動力になっていました。

 ――16年には夢舞台であったリオデジャネイロ五輪に出場した

 皆川 リオの舞台に立てた時は、本当にうれしくて楽しいという感情が大きかったです。観客のみなさんがたくさん入った中で演技をすることができたので、本当に会場の盛り上がりを感じながら演技をすることができました。4種目それぞれ違う音楽を使ったのですが、会場が一体となって盛り上がっている状態の中で演技ができたので、本当に楽しかったですし、ここまでやってきて良かったなっていう気持ちになりました。

 ――17年の世界選手権では銅メダルを獲得した

 皆川 リオ五輪の次の年という意識はあまりありませんでした。東京五輪までは新体操を続けると決めていたので、フープ以外の演技の種目を全部変えていたこともあって、少し慣れていない部分もありましたし、ヒザのケガもあったりして、不安な部分もありました。それでも世界選手権までしっかり練習を積めていましたし、ナディア先生とやってきたことを信じて、本番で出すことができました。その上で結果がついてきたなという感じでした。

 ――メダルを取ったときの気持ちは

 皆川 自分ではメダルを取るとか、入賞するということは全く考えていませんでしたし、できるとも思っていなかったので、その当時は本当にびっくりしたけど、うれしかったですし、ここからもっと頑張っていこうと思うきっかけにもなりました。

 ――その後はケガで苦しい時期が続いた

 皆川 リオ五輪の段階でいろいろケガが出始めていたので、そこからちょっとずつ無理をしながら毎シーズン迎えていました。やっぱり少しずつ体に無理がかかってしまっていたし、その中でいろいろできることや調整をしてきました。

 ――いろんな方がサポートしてくれた

 皆川 もう少し早い段階でいろんな取り組みや体の使い方の見直しとかができていたらもう少し違っていたのではという気持ちもありますが、本当にいろんなドクターさんや自分のトレーナーさんやナディア先生を含め、たくさんの方々がサポートしてくださったおかげで、東京五輪後まで現役を続けることができました。ケガはいろいろあったし、それを乗り越えながらやるのは本当につらかったですが、充実した競技生活だったと思います。

 ――一番ケガでつらかった時期は

 皆川 一番つらかったのは、19年世界選手権の前にコンパートメント症候群が悪化したときですね。1分半演技するのも本当にやっとでした。その状態でも世界選手権で東京五輪の(国別の代表)切符も取らないといけない状況でしたので、不安は大きかったし、本当に自分でいいのかなという迷いもあったので、その時期が一番大変でしたね。

 ――世界選手権で枠は取ったが、東京五輪出場は逃した。

 皆川 自分が取ってきた枠だったので、自分が出たかったですし、日本で開催される五輪だったので、出場したいという思いをリオ五輪の後からずっと持っていました。五輪に出場できないとなったときは、本当に悔しかったです。

 ――立ち直れたきっかけは

 皆川 代表選考会で落選したあと、今までの新体操人生の中でこれ以上ないくらい落ち込みましたが、本当にたくさんのファンや世界の新体操の先生方や世界中の選手のみんなが「あなたの演技が一番キレイだよ」とかたくさんのメッセージを送ってきてくださって。たくさんの方々が応援してくださっていることを実感しましたし「秋の世界選手権まで現役を続けてほしい」と言ってくださったので、みなさんの思いが立ち直るきっかけをつくってくれました。

 ――福岡での世界選手権で有終の美を飾った

 皆川 コロナ禍で大変な状況下でも日本で開催をしていただけて、さらに有観客で開催していただけたことに感謝の気持ちでいっぱいでしたし、再び代表に選んでいただけたという感謝の気持ちも大きかったです。世界選手権では名前が呼ばれた瞬間にたくさんの方々が拍手をしてくださったときの会場の一体感が印象的でした。本当に温かい空間の中で1分半演技をすることができたので、幸せだなという感情とここまで続けてきてよかったなという思いから、感謝の気持ちでいっぱいでした。

 ――全ての力を出すことができた

 皆川 全てのポジティブな感情が自分の中で強い力となりました。1分半の間にここまでやってきたこと、ナディア先生と作り上げてきたものを観客のみなさんに伝えることができましたし、自分が演技をしていて初めてゾーンに入ったと思います。リボンを投げてスティックが落ちてくるのがいつもより2倍ぐらい遅かったし、1分半の演技時間が3分ぐらいに感じるくらい気持ち良かったし、本当にみんなの応援を力に変えて演技することができました。

 ☆みながわ・かほ 1997年8月20日生まれ。千葉県出身。4歳から新体操を始め、中学時代に全日本ジュニア選手権で2連覇を達成した。中学卒業後の2013年からはロシア留学で心技体を磨き、16年リオデジャネイロ五輪に出場。17年世界選手権はフープで銅メダルに輝き、個人では日本勢42年ぶりの表彰台となった。現役晩年はケガに悩まされ、21年東京五輪出場を逃したが、同年10月の世界選手権で有終の美を飾った。171センチ。