あけましておめでとうございます。西山貴浩です。まずはご報告です。

 おふくろが1月1日に亡くなりました。本当に最後の最後まですげえ~母ちゃんでした。余命宣告を受けたのはまだまだ暑かった夏の日のことでした。医者から「あと1か月。でも、いつ何があってもおかしくない状態です」と言われました。でも、母ちゃんは「タカヒロがグランプリで走るのを見て、ちゃんと年も越すから」って…。

 この言葉通りボクがグランプリ優勝戦で戦う姿を見て、しっかり年も越しました。医者もビックリしていました。そして、最期…。脈もだんだん弱くなっていって止まりかけた時に親父が母ちゃんに「ありがとうな」と言葉をかけました。すると母ちゃんの口がかすかに動いたのでみんなで耳を口元に近づけると母ちゃんは…

「かってに…、ころすな…」

 これが最期の言葉でした。最後の最後まで強いというか、粘り強い母ちゃんでした。亡くなった後、母ちゃんの持ち物を整理したらボクがボートレーサー養成所から送った手紙、ボクの記事が載った新聞、もちろん、このコラムも第1回から全部、きれいにアルバムに納められていました。母親の愛というのをひしひしと感じましたね。

 よく母ちゃんや周りの人がこう言うんですよ。「タカヒロの粘り強さ、頑固な部分は母ちゃん譲り。本当にそっくりだな」って。ボクもそう思います。

 ボートレーサーになれたのも…、グランプリに出れたのも…、SGを取れたのも…、バカなことをやり続けて最初は怒られたけど今では認められるようになったのも…、全部、母ちゃん譲りの性格のおかげだと思います。

 今回のグランプリも、その粘りを存分に発揮できたと思います。トライアル1stでは6番手から粘って5等をもぎ取ったことが2nd進出につながったと思いますし、2nd初戦も浮遊物を巻いて6等もある展開で粘り粘って4着になったことが優出にもつながりました。

 まあ、2nd2戦目の枠番抽選で1号艇を引いて1等取って、その後の抽選で6号艇を引いたのもボクらしいですけどね。ここぞという場面で笑いの神が降りてきました(笑い)。

 それにしても水面から見た優勝戦の超満員のスタンドはすごかったですね。ボクもヘルメットのシールドを開けてしっかり見ました。「これ、これ、これだよ!」って声が出ちゃいました。また、あの光景を見に行きたいですね。また賞金ゼロからのスタート。1年間、戦い続けることは精神的にも肉体的にも苦しいことも多い。あの苦しさを味わうのか…と思ったりもします。でも…、やっぱりあそこに行きたい! 今年は仲谷颯仁と一緒にあの舞台に行きます!