今では妖怪のたぐいと考えられるかもしれないが、古典をひもといていくと昔の人も昔の人なりに未確認生物を捉え、正体に迫ろうとしていた様子が分かる記述が散見される。

 今回紹介する「落斯馬(らしま)」などはその最たるもので、江戸時代ごろの文献に登場して、長らく多くの学者によって、その正体について様々な研究がなされたものである。

 落斯馬は体長が4丈(約12メートル)。短い足があり、皮やウロコが非常に硬いため、刀剣で傷をつけることはできないという。

 最も特徴的な点が額から生えた2本のツノだ。これは先が鉤(かぎ)型に曲がっており、岩にツノを引っ掛けて磯に上がって眠るとされている。いわば錨(いかり)の役目でも果たしているのだろうか。

 この生物は当時から広く知られていたようで、イエズス会宣教師で清の康熙帝にも仕えたフェルディナント・フェルビースト(1623〜1688年)が著したとされる漢訳世界地誌「坤輿外紀」にも登場している。江戸時代には「華夷通商考」や「長崎聞見録」、尾張藩の学者・秦鼎による「一宵話」にも掲載されている。特に「長崎聞見録」には特徴をユーモラスに描いた挿絵もあり、落斯馬の姿を想像することができる。

 しかし、この落斯馬はいったいどのような生物だったのか。オランダはライデン大学の東洋学者シュレーゲルは落斯馬にツノがあることなどから、「ウニコウル=イッカク」と考えたようだ。

 ウニコウルとはユニコーンのことで、昔の人はイッカクのツノを馬の幻獣であるユニコーンのものと考えていたことから、額にツノのある落斯馬もイッカクのことではないかと考えたのだろう。しかし、これについて日本の博物学者・南方熊楠が異を唱えている。

 南方熊楠は落斯馬を「ロスマ」と読み、西洋由来の名称でノルウェーあたりの海馬こと海獣が落斯馬の正体ではないかと自身の随筆で明らかにしている。なお、シュレーゲルとは落斯馬の正体についてかなり論争したようで、随筆のタイトルはそのものずばり「落斯馬論争」となっている。

 もし落斯馬が南方熊楠の言う通り、海獣だったとしたならば、それは何だったのだろうか。全く未知の、現代では絶滅した海獣の可能性もあるが、一番近いと考えられるのはセイウチではないかと考えられている。大きな体と長い2本の牙を持つセイウチの姿が伝わっていくうちに、いつしか額から生える2本の長いツノへと変化したのではないだろうか。

 なお、前述の尾張藩の学者・秦鼎は「一宵話」で蝦夷の海獣「シカツイタシベ」の牙を手に入れ、この牙は「長崎聞見録」にも掲載された落斯馬のものであると論じている。

 また、秦鼎は落斯馬を「ラシメ」と呼んでおり、タシベとの音の類似が指摘されている。蝦夷、つまり東北や北海道でツノが得られたということは、寒冷地の海に生息する生物ということで、セイウチの生息域とも合致する。

 大きく、一見凶暴そうに見える生物の話が遠隔地へ伝わっていくうちに、恐ろしい怪獣のように姿を変えていくのは、よくあることなのかもしれない。