“国民的アイドル”のSMAP、嵐など数々の人気グループを輩出したジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが、解離性脳動脈瘤によるくも膜下出血のため9日午後4時47分、都内の病院で亡くなった。87歳。同事務所が発表した。16年前に“聖地”甲子園球場でジャニーさんは本紙記者の単独直撃に答えていた――。

 その初老の紳士は、意外な場所に姿を見せた。野球の聖地、阪神甲子園球場。2003年5月18日、快進撃を続けていた星野阪神が宿敵・巨人を迎え撃つ一戦だ。その試合前セレモニーにジャニーズJr.が登場し、外野のグラウンドでダンスを披露することになり“総帥”自ら視察に訪れていた。

 報道陣でごった返すバックステージの通路は、いつもと違う緊張感に包まれた。小柄で細く、上品なオーラをまとったジャニー喜多川社長が現れると、報道陣がサッと道をあけ、カメラマンがカメラを向けると「撮っちゃダメだろ!」と周囲のスタッフが一喝する。声をかけてはいけない人物なのか…。何かしがらみがあるのか…。いろんな思いが駆け巡ったが、記者は社名を名乗り「お話を聞けませんか?」と話しかけた。

「はい、いいですよ。歩きましょう」。ジャニーさんは小声で気さくに返事をしてくれ、誘導されるように球場バックネット裏の前列席に向かい、2人で座った。

「私はね、田淵打撃コーチと知り合いなんですよ。阪神に優勝してもらうために協力したい。18年前に阪神が優勝した年に生まれた子たちが、ウチで今、活躍しています。優勝イベントだって考えたい」と阪神へのバックアップを約束した。

 話している間に外野グラウンドではジャニーズJr.約30人のパフォーマンスがスタートし、コンサート会場さながらの黄色い声援が飛び交う。記者はジャニーさんとの話に集中したが、ジャニーさんは眼光鋭く外野を見つめ「あ、ダメだよ」「もっと大きく動かなきゃ」などと、つぶやく…。取材を受けながらも厳しくダンスのクオリティーを判断していた。

 その名を世間に知られる一方で、表舞台に姿を見せない謎多き人物でもあった。記者はただ阪神との関わりを聞きたかっただけだが、それがいかに貴重な時間だったのかは、その後、記者生活を続ける中で、じわりじわりと思い知らされることになった。(運動部・西山俊彦)